ひつじのTime killing notebook

昔々ばかりってつまらなくなったので、最近の海外ニュースも雑記に...むっふ(=^m^=)♪

シティバスでの一人観光

2~3ヶ月経った頃は、私はかなり色々な暮らしのテクニックを教えてもらい、帰りは帰り道が判らないとタクシーで帰って来て、行は行き当たりばったりのシティバスの観光巡りを始めていた。
バスには行先は書かれていなくて、番号だけですし、停留所にも駅名など何もないのです。番号も無いので、気に入った所で降りてまた行きたい時は”○○ストリートのバナナの木がたくさん生えていて、赤い屋根の家の塀が見える所に行きたい”とドライバーに伝えた。そしてかならず、”停留所に付いたら教えてください”と言って置くのです。

商店街などが多少でも纏まってあれば、そこの場所名を聞けるのですが、主に森と言いたいのだけれど、ジャングルが両脇にある道路が多い。
何時も利用している人たちは、土地名が判るのでしょうけれどね。初めて乗るバスは道路名を言って、そこを通るか聞いてからバスに乗るのだ。

往復で違う道路を通る場合も多いので、聞かないと判らないので、バスマップが売られているが、本になってるので、持ち歩くのには面倒なので、結局は買わずに終わらせた。

帰りのバスが判れば乗るのだけれど、判らなければタクシーが安いので(初乗り100円くらい)タクシーで帰って来た。
国の大きさは確か淡路島?だか何島だったかと同じ広さしかないので、タクシー代の心配が無いのが良かった。

ダブルデッカー(英国領だったので2階建てバス)が来ると、景色が良く見える2階の一番前に座る事が多かったのは、考えたら子供みたいだったなぁ~。

そのような時は運転手さんに2階に居ると言って置けば、乗客が順番に伝言して2階の私まで、次が下りる停留所だと教えてくれる。
時々バスが混んでいる時も、自分の隣が空いていると、手を挙げて”此処の席が空いているよ”と教えてくれるのが親切ですね。


これは日本人なら知らんぷりでしょう。それから、”何処何処に行きたいんだけれど”と運転手さんに聞いたりすると、バスを降りて来て詳しく教えてくれたり、運転手さんが知らないと、それを聞いていた乗客が教えてくれたりするのですが、その間バスは止まっているのだけれど、文句言う人は一人もいなかった。


この精神は、後にロンドンに行った時に同じような経験をしたので、そこの植民地だった名残の気質なのではないかと思う。バスが遅れるも遅れないも、元々適当な時刻表らしきものがあるだけなので、問題ないのでしょうね。何しろあの1年中蒸し暑い国ですから、急ぐとかさっさとやるなんてしていたら、エネルギーを消耗してしまうので、ありえない事なのでしょう。


バスはたまにエアコンが付いているバスがあるが、やはりそんなバスは混んでいた。
バスの入り口には身長が判る線が引かれていて、バス料金は身長によって大人料金と子供料金になっていて、年齢関係なく取られる。
したがって日本人は日本のやり方を通すので、よく日本人学校にバス会社からクレームが来ていた。 我が子は父親譲りの背高のっぽだったので、9歳にして大人料金の130㎝オーバーだった。


バスを降りる時のブザーはボタン式でなく、天井にカーテンレールのような物が付いていて、真ん中がゴム?製で、何処を押しても豚の悲鳴みたいにブヒャーっと言う音がするもので、意外と便利。
嫌だったのはつり革につかまる時だけで、摑まるとネチョっとするのだ。

皆の汗がこびりついていて、何時掃除したのか判らないくらい汚れている。それも結構いつの間にかそう言うものと慣れてしまった。座席もまるで板の上に直接布みたいに硬い椅子。


皆のんびりしているのに、車の運転はかなり雑である。特にバスはカーブを曲がる時は、椅子の外側に座っている時は要注意で、うっかりすると転げ落ちてしまうくらの勢いで曲がる。 たとえ転げ落ちても、落ちた方が悪いのである。
信号は車優先なので、小走りに渡らないと直ぐに変わってしまうのである。最初は吃驚するが、それもいつの間にか楽勝で渡り切る事が出来るようになるのである。


そして、一番の皆の親切は、やはりダブルデッカーで出かけた時、私は後部座席に座っていたんだけれど、汗をあまりかくと、目が乾くのかコンタクトレンズが片方飛んでしまった事があった。この時は流石に”ゲッ!”である。

恥も外聞もなく床にはいつくばって、探し始めたら、周りの人が皆一緒になって探してくれた。レンズは意外と遠くまで転がっていて、見つけてくれた人が居て、ヤレヤレである。 その間15分くらいかかったと思うが、皆真剣に探してくれた。


見つかった時は、皆で喜んでくれて、降りていく私に声をかけてくれた。見つけてくれたインド人らしき人は”私は目がとても良いのだ”と得意そうに言っていたのが可笑しかった。このような親切には何度も出会った。
確かに眼鏡かけている人はとても少なくて、たまに出会うと中国系の人か日本人だったように思う。

東側はあまり行かなかったが、西側はかなり彼方此方シティバスの観光を楽しんだ。行った先では必ずキャンティンに立ち寄り、食べた事のない物を食べたり、飲み物はカフエオレ? ミルクティらしきものは、金魚のビニール袋と同じひも付き袋にストローが突っ込んであるものが多かったが、滅茶苦茶甘いのには閉口気味だった。
ローカルの人は甘い物好きで、コンデンスミルクを入れる様だった。Tシャツにジーパン、ビーチサンダルに袋を肩からかけて歩いてる私は、滅多に日本人とは思われなかったようだ。

何人系でも暮している国は色々な言語が飛び交って、何人でもあまり気にはしないし、テニスで真っ黒だった私は、ローカルの人と思われていたのかもしれない。中心地から外れたカンポン(村)に住む人は英語も話せない人も居たが、何とか用件は通じたみたいだしね。日本語で話しかけると、日本語だと判るのは、第二次世界大戦時に日本人が駐在していたので、聞き覚えがあるようだった。

この国に暮す様になって、私は戦争の事を何も知らないなぁ~と思い知らされる事にも出会った。