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ひつじのTime killing notebook

昔々、気がつけば更に昔の海外暮らしや旅行などで、見たり聞いたり体験を!所変われば常識も違ったりしてね。  むっふ(=^m^=)♪

始めての海外は夏の国へ転勤だった。

その話を夫にされたのは、昭和56?7年の頃の5月の終わり頃でした。
赤道直下にある、東南アジアのその国は、名前は知っていたけれど、何処にあるか正確には思い出せない国でした。

大手商社などは1年くらい前に話があり、家族は英会話などのレッスンを受けて転勤だと知ったのは、ずっと後の事で、我が家は5月終わりに言われて、子供が夏休みになった7月の終わりには、転勤になりました。

何時帰国と言う話も分からず、国名を聞いただけで、身の回りのどうしても必要な物だけ送って、後は全部処分して行ったのです。
その国は小さな国で、淡路島?と同じくらいの大きさだとか・・・多国籍国家だという事しか知りませんでした。

子供は9歳でしたが、当然引っ越しなどは、国内でも嫌なのを、調子のよい夫は巧い事言い包めて出国しました。仲良くしていた、子供の友達も大泣きして出て行ったのです。

私も趣味で始めた事が仕事として巧く行き始めた時で、チャンスの時でしたが、すべてキャンセル、お断りして新しい暮らしをすることにしたのだ。
もしかした面白いかもしれませんしね。

 

飛行場につくと、夫の知り合いの家族が出迎えに来ていてくれました。飛行場はスパイスの香りが満ちていて、私の大の苦手のムシッと暑い国だったのです。
何も説明がなかったので、ハワイの様に暑くても爽やかと思っていたので
「又巧い事やられたぁ~」
と思った。

兄弟姉妹の多い夫は下から2番目で、母子家庭で、逞しく育っていたので、とても口が達者な人だったので、大人ばかりの中の一人っ子の私や、当時の子供を言い包める事など簡単な事だっただろう・笑

 

何時も私は時効になった頃、巧い事言われたんだと気が付くのが常だったしね。
「でもまぁ、もう行ってしまったのだから、仕方がないし、面白い事も有るかもしれないし・・・」
と私は割り切りました。

 

最初に吃驚した事は、友人だと言う人はベンツで迎えに来てくれていたので、凄いリッチな友人がいるんだぁ~と思ったが、夫はもっとレベルの上のベンツに乗っていた。
その次に吃驚したのは、住まいまで走っている間に見た車はほとんどがTO〇〇TA自動車が走っていた事。それを見たとたん私はなぜか『日本はよほど上手に外交をやらないと不味いんじゃぁないの?』という事だった。


住まいは夫の言った通りにゲートが有り、セキュリティが厳しそうな超高層のフラット(マンション)が数棟ある集合住宅で、プールやテニスコートも6面あるブロックと言うのは本当だつた。
すぐ側の徒歩圏にインターナショナルスクールが有る所で、日本人学校が満員ならそこに行かせるつもりだったという事にも吃驚でした。

でその日は疲れているだろうからという事で、友人は送り届けてくれてあいさつしただけで、直ぐに帰って行きました。

もう夜になっていたので、初日の夕食は日本のインスタント焼きそばで済ませたのにもちょっと吃驚‼ もうすでにとっくに現地赴任していた夫なのに、冷蔵庫内にはほとんど何も入っていなかったのです。すべて外食だったようです。

彼にとっては安くて美味しくて、楽しい国だったようなのです。キャバレー?みたいな所は、社用などで来た人の接待で、日本人客は大得意様で・・・。
そして第二の吃驚は、行って3日目にお金だけ置いて、2週間出張に行ってしまったのでした。

そして次の吃驚は、自分に吃驚でした。
英語のレッスンも何もしていなくて、万が一用に薄っぺらい英語の辞書を持っていましたが、全然不安感無しで、3日も経つと街はどうなっているか見に行きたくなったので、子供の手を引いて街まで出て行った。

タクシーやバスの止め方だけ聞いて・・・腕を水平に上げないと止まりません。

取り敢えずタクシーで日本で言えば銀座の様な街に出かけて行ったのだ。
そして「何て色々な人種がいて、色々な言語があるんだろう」と吃驚?いやいや感動したのだった。

ショッピングセンターやデパートやホテルが並んでいて、街行く人も西欧人から肌の色の黒い人や、もう世界中の人が集まっているようで、そんな国があったのだと感動。
で、その日は下調べと言った感じで、半日くらい過ごしてタクシーで帰って来ました。

タクシーも又ボロボロの捨ててあるのを拾ってきたようなTO〇〇TA自動車ばかりで、エアコンなし、手動ドア、床が又素晴らしい床で、穴などが開いていて、見ると道路が隙間から見えると言う車だった。(見間違いかと思いました)
運転席横にPC用みたいな小さな扇風機が付いていて、回っていますが、窓は開けっぱなしなので、案外涼しく乗ったように思う。バスはダブルデッカーが走っているので、次は是非乗ってみたいと思いながら帰宅しました。

すっかり忘れてしまっていたとはいえ、私は外国人の友達数人が若い時に居たので、英語慣れ、意味わからない慣れしていたのでしょう。
幸いだったのは、クィーンズイングリッシュは、判り易かったのだ。

かわりにアメリカ英語は、まったく聞き取りにくく何度も聞き返さないとならなかったし、独特の話し方は最後まで判らなかったですね。
学校で習った英語は
日常会話では、少ししか役に立ちませんでしたが、そのような感じで、スタートしたのです。

夫の居ない2週間余りの間に、ウロウロと結構出歩きましたが、気候が嫌な以外は結構吃驚が多くて楽しんで暮らしたかもでした。

その当時はチェッカーズ、谷村(昴)などがその国でも人気で、日本のTV番組では、キン肉マン、おシン、金妻などは居ない間に流行った番組の様だった。

借りたビデオに入っていましたが、好みの番組ではなかったので、題名だけしか知りません。その国は独立して9?10年目位だったので、今とは全く違って、不便だけれど、魅力的な街が沢山ありました。

今はもう近代的な国に変わり地下鉄も走っていて、帰国後一度行きましたが、すでに面白そうではなくなったように感じました。という事で、続きは又次に・・・