ひつじのTime killing notebook

昔々ばかりってつまらなくなったので、最近の海外ニュースも雑記に...むっふ(=^m^=)♪

無人島がゴミだらけ

今朝ネットのニュースで、太平洋の無人島に「世界最悪」のプラスチックごみ集積というのを見た。

無人島にゴミが凄いと言うのは30年以上前からのことで、私はマレーシアの無人島に子供が夏休みの時に行った事がある。(マレーシアは最近ニュースになりましたが、美しくて穏やかで、暑くても良い雰囲気と思っていましたが・・・)

漁船が空いている時間にチャーターして、ランチの魚を釣りながら行き、無人島で焼いて食べると言う計画だった。

無人島だから、港も無く船が行けるギリギリの所で下船して、海の中を歩いて島に上陸するのだけれど、猟師さんは観光客を案内する度に、島の掃除をして、ゴミを持ち帰るのだそうだけれど、物凄いゴミの漂着物だった。

そして、私から見たら綺麗な熱帯魚が泳ぐ海だったが「物凄く海が汚れて、魚が減って問題だ」と言っていた。
「へぇ~!」と思いながら聞いていたが、空き瓶やビニール袋や、つり道具の一部、タイヤ等々本当に海岸はゴミだらけだったのを思い出した。

今回のニュースは世界遺産英豪の共同研究で、南太平洋の無人島に集まるプラスチックごみの密度が世界最悪だと明らかになった。便利な世の中になるほどにゴミの量が増え、分別も大変になってきている。

そして、解決策として、ケンブリッジ大学の研究チームは、ハチの巣の蜜蝋(みつろう)を食べるハチノスツヅリガの幼虫が、プラスチックも分解できると発見!

「ワックスワーム」と呼ばれる毛虫(ワーム)は蜜蝋を分解すると似た方法で、プラスチックの化学結合を分解できることが判明。

世界では毎年、約8000万トンものポリエチレンが作られ、買い物袋や食品の包装などに使われる。ポリエチレンが完全に分解するには、何百年とかかるそうだけれど、ハチノスツヅリガの幼虫は、1時間弱でプラスチックの袋に穴を開けることができるのだそうだ。

でも、今度はその虫が増えすぎて、他の害が出てくるという事ってないのでしょうかしらね? 何でも物事は良い面だけではないですからね?
このニュースで、美しい南太平洋の無人島風景が、一寸文明の垢が付着して、汚れたイメージになってしまったのですが・・・

昔は未知の世界がいっぱい有って、そんな事が書かれた本など子供の時にワクワクして読んだ物だが、今はドンドン科学で解明されて、これからの子供などは益々、何でも当たり前に知っていて、感動が少なく育つんでしょうね。

いやいや、自然の大きさや新たな現象は、底知れない物なのかもしれないでしょうかね?心の問題で、何歳になっても、身近に不思議は沢山まだありますね。でも世界中が何が美しいのか、そのところにしかない美などは保存して欲しいし、それを継承して、大事に保存もして欲しいなァ~とも思う。

反面、科学の発達によって、とんでもない疫病などの大流行などは、ネットの発達などにより、教育も行き渡る所が増えて、衛生的になり? 減ったのかしらね?

パリで食べた生ガキは最高に美味しかった(^^♪

海外で生ガキと言うと、あたってしまいそうなのだけれど、10月に行ったのですが、カキのレストランがあって、そこで食べた生ガキの美味しかった事。

大きなカキで、一口で食べるが口いっぱいになるくらい大きいカキで、レモンを絞ってぺろりと一口で食べてしまう。

海の物は苦手なものが多い中で、これはとても美味しかった。
フランスは、何処も食べ物は美味しくて、街角で売られているような物も、とても美味しく食べられた。フランスに行ったからと言って、本格的フレンチを食べた訳ではなく、地元のレストランのようなところで食事。

大概の時間は、元夫の要望で当然ルーブル美術館がメインで、人が多い、広くて移動が大変だった以外は有名な絵を見ても、意外と感動しなかったのは、有名絵画があり過ぎ! 娘の希望したダリ美術館の方が建物も、中で見た絵も良かった。

何度もフランスには行っている元夫は、まぁ見せたいところが彼方此方あったのだろけれど、毎度のことながら自分ペースなので、疲れてしまった。
元々私はパリに入ってみたかったけれど、いったら一度に彼方此方いっぱい回るよりも、何処かでゆっくりと待ち行く人や、雰囲気を楽しみたい私とは、目的が違ったのですね。

ただ、良かったのは街の小さな靴屋さんで売られている靴が、私の足にぴったりの靴で、もう少し買ってくれば良かったと思った。
その後、元夫がパリに行った時に買い足してきてもらった。

人生長いけれどその店の靴が足にぴったりの靴だった。もう20数年も前なのだけれど、今も一足だけサンダルを持っている。

脱いだり履いたりが手間がかかるから、あんまり履いてはいないスエードのサンダルです。街の何でもないようなバッグ屋さんで、吊るされていたバッグでも、なかなか素敵で良いのがありました。

そして、もう一つジルベル・べコーのテープを数本購入した。滞在は2日くらいだったので、あっという間に過ぎてしまいましたが、1日だけは娘は父親鍋奉行ぶりなどにうんざりして、ひとり別行動して、映画を見に行ってしまった。

と大好きなヨーロッパ旅行は、楽しさは残念ながら半分になってしまった。とりあえずざっくり見てきたパリでした。今思っても残念な旅行だったですね。

お土産を買ったりとか、そう言うのでなくて、何となくぶらりとしたいのがパリだと思いました。まぁ有名な話ですが、セーヌ川はフランス語で言うところのアベックが多いのですが、川自体はただの汚い川でした。

 

 

写真で見たとおりの凄い坂のあるサンフランシスコ

サンフランシスコは、ちょっと寄り道した街だったのですが、必ず観光写真に載っている通りに凄い坂道があった。 坂の所は路面電車(ケーブルカー)が走っていて、坂の一番上に行くとフィッシャーマンワーフと言う、シーフードなど食べられる所があるのだけれど、季節はずれの冬に行った? 週末だった?から、何処も閉まっていて、ただガラ~ンとした所だった。
観光客らしき人も少なくて、街中が空いている感じだった。

何も無いので、又帰りのケーブルカーに乗って戻ろうと、チケットの自動販売機に行ったら、コインを入れても全然機能していなくて、壊れている?
何度やっても、コインは戻ってきてしまうので、側に居る人に聞いたら、その人も観光客のようで、「さぁ?でも何回もやったらチケットが買えたよ」と言う。
「じゃぁ、何たってアメリカだしぃ~(失礼)」と又気長にコイ投入。 すると、違う若い男の人が[ちょっと待って!」と言って、販売機を思い切り蹴飛ばした。

そしてコイン投入後、大きな手で販売機をバンバン叩いたら、コインが入りチケットが出てきた。[何時もそうなんだ!」そうだ。
今は近代的に良くなっているのかもしれないけれど、その時は蹴飛ばしやすい靴履いていかなくちゃぁ~と思った。 これって1989年頃の話です。

そして、デパートを見たり街をうろついたりした。日本で買うと凄く高いアメリカメーカーのバッグが凄く安かった。
何時も爽やかな陽気の所だからか、ホームレスがちらほらいて歩道に座り込んで、帽子が置かれて、中にお金が少々入っていた。 でもそのホームレスの中には凄く大きくて体格も肥満気味の女性が、外套に持たれて座っていた。猫連れのホームレスだったが、猫が又飼い主同様に体が大きくて、丸々と太っている猫で、アメリカって良い暮らししているんだなぁ~と思った。

皆のんびりした感じで、気候が良いからホームレスが多いそうだ。
そして、気をつけないとならないのが、怪しい日本人も多いと聞いた。親しげに話しかけてきて、詐欺まがいの事をするらしい。
どう見ても、働き者が居る街には見えなかった。

1年中気候が爽やかで温暖だと、人は厳しい季節に向かって「なんだかの準備をしなくちゃぁね!」と言う気分にはならないのでしょうね。
年金生活者は、歳をとったら西へ行って暮らすのが夢だという人は少なくないようだ。
でも、爽やかだけれど、私はやっぱり四季がある国が良いなぁ~。

そして、近くにチャイナタウンがあるのだけれど、もう昼間歩き回ったので、疲れたので、夜はホテルのルームサービスでパスタを1人前頼んだ。ルームサービスは割高だそうだけれど、持ってきたパスタは大皿にてんこ盛りで、子供と2人で分けて食べても、気合を入れて食べなくてはならないほどの量だった。

何も注文はしなかったけれど、流石サンフランシスコのホテルは日本人慣れしていて、中皿とフォークなどは2セット持ってきてくれた。
日本のパスタの量の3倍くらいが1人前ですね。その前にもアメリカは滞在した事のある所だったから、予想はついていたけれど・・・

あれを食べてしまうんだから、身体も丈夫なはずだよねぇ~と言う感じだった。
とりあえずは、1泊だけなので、後はのんびりTV見て過した。
治安も余程変な所に行かなければ、まぁまぁな感じですが、やっぱりアメリカには住みたい気はしませんでした。
慣れたら日本よりも暮らし安いかもですけれどね。歴史的な文化と言うか、建造物とかも無かったし、只のんびりしに行くには悪くはないのかもですね。

雰囲気はそれほどお洒落な店があるわけでもなく、ちょっと田舎っぽい街だったかもしれない。気候が良すぎると、働く意欲も沸かないのではないかしらね。

 

今カーリングをカナダのエドモントンで・・・

数日前から世界カーリング大会がエドモントンで開催されている。

昔私は用事でエドモントンへ行った事がある。
確か2月頃に行ったんだけれど、一番寒い時だという話だったが、たまたま物凄く暖かくて楽だった。 印象はそれでも本当は凍りつくような寒い雪国だから、何処もかも、特に街を走る車が泥だらけで汚らしかった。よくイメージスする緑豊かな街ではなく、工業で栄えている街だったのですね。
でも、実にのんびりした街で、道行く人はとても善良そうに見える街でした。実際は色々な』人がいるのでしょうが、あの長閑さは、私は好きですね。

寒い国では当たり前のようだが、物凄い大きなモールがあって、モール内にはプールや映画館やホテルと何でもある。
一つの街がモール街になっていて、中に入ってしまえば屋内なので、暖かだった。
とてものんびりした雰囲気で、なかなか良かったのだけれど、1泊で帰国した。

若い時は、エドモントンではないが、東海岸のほうに移民したかった。
考えたら文化的なのは東海岸のほうだけれど、気候が厳しいのも東海岸のほうが凄い物があるらしい。

1泊なので、半日ほど町をぶらぶらしたんだけれど、お菓子屋さんがあって、量り売りのお菓子が売られていた。その中に、どう見ても柿の種に見えるものがあって、ちょっと試食させてもらったが、唐辛子味がしない柿の種だったのが不思議だ。

観光地でもないし、スキー客は通過するらしいけれど・・・
で私は本屋で好きな漫画の本を見つけて、数冊買ってきた。TAXとかがつくと支払いがわからないので、財布を出して、開いてお店の人にお任せ会計だった。

店番のお姉さんは素朴でニコニコしていて、とても感じが良かった。「その漫画はとても面白いわよ」と笑っていた。

飛行機も、カナディアンエァラインをサンフランシスコからバンクーバーまで乗り継いで行ったんだけれど、実に素朴そのもので、機内食が時間もそう長くないのだけれど、ホットドックと紅茶とアイスクリーム?だったように思う。まったくの装飾的なものはなく、学校の給食をあっさりさせたような物だったが、とても美味しいホットドックだったのですね。

何故か途中から気圧のせいで、凄く耳が痛くなり、当時はスチュアーデス、スチュアードさんが、心配して唾を飲めとか、あめを持ってきてくれたり、ガムをくれたりしたが、暫くは痛みが取れなかった。
帰りの便は直行便で帰って来たが、なんともなかったんだけれどね。

制服もまったく洒落気など無く、機能重視みたいな物だったのが、いかにもカナダと言う感じだった。 そうそう、成田からサンフランシスコまでは、ブラジルの航空会社の飛行機に乗ったんだけれど、まぁ操縦の下手な事。
着陸時には物凄い音でドンドン!と着陸。 お尻が痛くなるくらい荒っぽい操縦だった。直行便もあるのだけれど、安いチケットで行ったので、サンフランシスコで一泊して、バンクーバーで国内線に乗り換えた。

バンクーバーの飛行場は何だか凄い人だったなぁ~。すでに移民する人が多かったんですね。と、もうあれから30年以上経ってしまったのが嘘みたいである。

もう何泊かしてゆっくり過したかったカナダ行きでした。
もしかしたら夢が叶って、国民になったかもしれなかったのになぁ~。せめて何時か横断鉄道で横断旅行でもしたかったんだけれど。。。。。

まぁ未だに本を持っていて、写真で旅行している国ですね。今は希望者が多く手、移民も受け入れは難しいようだ。 でも未だにあの柿の種は不思議?

まるで映画みたいだったカリフォルニアの火事

 

さて、今日もアメリカでの話ですが、ある時パサディナハイウェィを、パサディナと言う街に行く為に走っていた。
日本みたいに渋滞はまったくなく、ガラガラと言う感じで、砂漠の中を走っていたら、突然の渋滞にあった。
上下線ともなのです。何事かと思ったら遠方に見える小山の中腹にある大きな家が火事だった
。 何も無いところの小山だから、丸見えなのですが、皆見物渋滞だったのです。何しろ滅多に雨など降らずに、からから陽気で、1年中温暖な所です。

風が有って木がこすれたりすると、それで発火してしまうそうです。
街に近い所ではスプリングクーラーが付いていて、自動的に水を巻いているようですが、人里はなれた小山の中腹です。
そういうところは、金持ちの家や別荘があるのだそうだ。で、そんなだだっ広い所で、消防車が走って行ったかは見えなかったけれど、ヘリコプターが消火しているのが見えました。
車は暫く見るとノロノロ走り出して、道路はまたガラガラに空いたハイウェィに戻ったが、何時消火が終わるか判らない状態だった。まるで映画を見る様な感じ。

更にこのハィウェイの途中の引っ込んだ場所で、昔、三浦事件(水の江滝子・字が違うかもです)の甥とかが、保険金を掛けて、妻を殺害した場所も有りチラッと見学して、街に着きました。パサディナと言うのは、アンティークな家具等の店がある、落ち着いた街でした。
1年中気温が程ほどで、エアコンや暖房がいらない街は、年金暮らしの高齢者がお気に入りの所だそうですが、私は一歩でたら西部劇のような荒れた景色や、四季が無い所は何だかなぁ~と思いました

何処もかもパサパサに乾いているから、パサディナかしらって思いましたね。
ポトガル?スペイン語名の街が多かったから、元々は移民した時はそれらの言語を使う人が多かったのでしょうね。
でも良い街も在りましたが・・・。文句言う割には、出歩いていたのです。
でも何処に行くにも広すぎて、かならず砂漠の中のハイウェィをぶっ飛ばして数時間と言うのは、結構不便ですね。
相変わらず私はシティバス利用でしたが、これが又何時来るか判らないのですよね。
窓が真っ黒なシートが貼られていて、最初は不気味だった。 施設が整った街中に暮らさないと!思いと思いました。

たまには南の国以外の国も(inUSA)

 さて,気ままな昔の異文化話も、南の国以外も書いてみたいと思います。

此処はずっと滞在ではなく、子供の長期休み年3回にはUSAで過ごしていました。
夫は単身赴任で! 休みのたびにロスまで行っていた。 30年くらい前南の国が終わった後がUSAでした。
その当時は、NYよりロスの方が治安が悪いと言う話で、オフィスはロスにありました が、住まいは聞こえがよいサンタモニカでした。

治安がよいというのですが、街は子供少々と高齢者がいっぱいの街。年金暮らしになると、気候もよい治安のよい西海岸と言うことのようです。
米語ではエレベーターですが、それが無い3階立て位のコンパクトなアパート。 ワンベッドルームの小さな部屋で、ランドリールームが地下の駐車場脇にあるアパート でした。
部屋にはTVがあるだけで、今思い返せば毎日TVを見る以外は何も無い暮らし。 今日は出かけようと思う日には、数ドルのお金をもらって出かけていった。

此処では流石に、子供は中学生になっていたが、仕事休みの日には遊園地に連れて行 ってくれた事があった。
子供と私は、一人っ子同士なので、お互いにそれぞれ好きな事をして過ごすのは上手だ。子供はTVを見るか、持って行った宿題をやるだけの暮らし。
なので、時々歩いていけるモールまで出かけていった。モールの中をウィンドウショッピングそして、ランチはハンバーガー。そして子供は荷物とならないお菓子を買って帰ってくる暮らしだったが、比較的日本人には感じ悪い店員が多い。 いやいや、あれが普通?としたら、何とも殺伐とした国だと思う。

週末に開かれるサンデーマーケットだけが、ちょっと刺激的で楽しかった。 自家製のパイを売る店とか、着るものやまぁ色々な物が売られているが、着るものは大体が大きすぎて必要なし
。 これだけは私は一人行動。でも一人で出て行くと、ちょっと周囲の人と話したりのコミュニケーションがあった
。 親切な人も出会ったし、安くて野菜とかよさそうなものを買って来たりした。
それ以外は、強大スーパーへ家族で買い物である。休みの日は大体買い物でお終い。 ワンベッドルームの部屋の冷蔵庫は、小さいので家族3人分の食品は沢山は入らない。

シングルベッド2台限なので、一番からだが小さい私はカウチで寝ていた。 子供は父親似でかなりの長身の子供だったし、寝相が悪いのでカウチでは落ちてしまう。
まぁずっと居るわけではないしぃ・・・で、子供の学校には事情を話して、長期休みは場合によっては、日時通りに戻れなくて休みになる事もある旨を伝えておいた。

他の中学生は、高校受験とクラブ活動で忙しいと言うのに、我が家のライフスタイルは、そうは行かずに、子供は帰国間もないので、日本の暮らしに慣れるだけ、塾は一応行くだけ状態。
私はまぁ子供が元気に登校して、友達が出来れば良しと思っていた。

流石にアメリカでは遊び友達は出来ず母子で彼方此方を時々うろつくか、映画を見に行くくらいで、 後は何回か近い所のデズニーランドや、ナッツベリーファーム(スヌーピーの遊園地)ユニバーサルスタジオなどに行った。
遊園地は日本よりもずっと楽しい所だった。長い行列も、アメリカ人は屈託無く周りの人とフレンドリーにお喋りして待つ。
それはよいのだけれど、私は米語は苦手なので、余り聞き取れなかったし、こちらの言う事が通じなかったりが結構あった。

単語自体がまったく違っていたりなのですね。うっかり英語で言うと“何?”と言われたり、発音も悪いのもあるし表現が違ったりで「別々に小分けにして包んでください」と言ってるのに「違うポケットだって?」とか言われて[いいえ、もう結構よ!」で相手の思うままの一括パック。

そんなことでUSAではその他も、あまり良い印象がない。映画が安く見られたので、映画だけはよく見に行った。それと母子で歩いているのに、姉妹にしか見られないようで、よくナンパされて、ブラックにはしつこくて悩まされた。
何系か判らないけれど、他の人は「親子だよ」と言うと笑いながら離れていくのに、ブラックは物凄くしつこく、付きまとってくる人が多く手、家を知られるのが嫌で、お店の人に言って、助けてもらいさっさと姿が見えなくなるまで、引き止めてもらったりした。

キャブのドライバーもブラックは失礼な奴が多かった。だから嫌いだ。全員じゃぁないけれどね。
食べ物の安さと映画が安いのは、海外暮らしの嬉しい所ですね。 サンタモニカはですから、勝手にイメージしていた、避暑地的な雰囲気とは』違ったような気がする。
気候は四季感はなく夜は高齢者は毛皮のコート、横を通るティーンエージャーはタンクトップでスケボーと言う気候でした。 雨に降られたことは無く、街を外れたら、西部劇に出てくるような何も無い砂漠のような景色だった。

 

料理教室の先生はゲィだった!

 

  南の国に暮らし始めてどの位立った時だったか・・・・?
何しろ雨季(日本の冬)と乾季(日本の夏)しかないし、その差も大きな差ではないので、記憶が定かではないのですが、友達に誘われて同じブロック内の違う建物にいる中国系の人がエスニック料理の料理教室を開くというので、申し込んだ。確か5回くらいで、生徒はプリントをもらって、作るのを見るだけの料理教室。

出来上がったら皆でランチで食べて終了と言う教室なのだ。 でもせっかく珍しいエスニック料理なので、何点か覚えるのも良いといってみた。
7人集まって、日本からしたら凄い広いキッチン。 でもその国の外国人向きフラットとしては、普通の広さのキッチンでの講習だった。

先生は中国系の30歳代くらいの背が高くてスリムな先生で、9時半集合だったが、行くと丁度玄関で、厳つい中国系?フィリピン系にも見える男性が出かけるところで、先生はブラザーだといっていたが、皆はヒソヒソ声で「ゲイよ!」と話していた。
日本のゲイバーに勤めている様な人はわかるけれど、彼らはよく判らなかったが、外国人は多い(その国はおおぴら?)ので、即判るようなのだ。国によっては厳しいが南の国は綺麗な女装した人も居るし、明らかに男同士のカップルも多いのだ。 (最近アラブ系の国では、男同士手をつないで歩いたりは普通の事と言うのをTVで見たけれど?)

まぁそう言う訳で、料理教室が始まった。とりあえず集まった人達は欧米人なんだけれど、何処の国の人だかよく判らないままにスタート。
で、スタートしたら、先生はゲィだと明らかに判った。立ち居振る舞いが、なよっとしていて実におしとやか!
シンクの下から、ボールを取り出す時も、膝を揃えて膝を突いて丁寧に取り出したりして、まるで歌舞伎の女形みたいだったのだ。
英語は男言葉も女言葉も同じだから、オネェ言葉で話しているかは不明だけれど、きちんと丁寧なクィーンズイングリッシュで話していた。

中国系の人は語学堪能な人が多いですからね。料理もなかなか美味しくて、手際よく作る様は、素人ではなさそうな手つきで作っていた。
その中でも、ペーパーチキン、専用のクッキングペーパーで出来た袋の中にチキンとスパイスと野菜を入れて、そのまま油であける料理と、チリクラブは美味しくて、お陰で家でも何度か作ったし、その後持ち寄りパーティの時などは、リクエストもありよく作った。

料理もだけれど、お作法教室も出来そうな体の動きだった。 帰国後はペーパーが買えないので、ペーパーチキンは作った事ないし、チリクラブは日本のカニでは、同じように美味しくできないし、やたらの高額な料理になる。
現地ではマッドクラブと言うはさみが大きく、野生的な生きたカニを生きたまま買ってきて、料理する直前に、心臓を一突きしないと味が落ちる料理なのだ。

その後カニを一気に叩ききる為の大きな包丁も買ったり、心臓に一突きも、バーベキュウ用の鉄の長い串で、必殺仕置き人のように刺さなくてはならない。
これが結構難しくて、エスニック料理って、意外と美味しく作るのは難しいものだった。
欧米人の料理の方が日常的には、粗食だし簡単で調理も凄く楽ですね。ちゃんと手の混んだ料理もあるのですが、何かの時にしか作らないようだった。

せっかくだから、他の国の料理も教わって作りたかったのだけれど、1年中蒸し暑いので、皆作る気はなくなって、来客などがあれば、べキューピットを予約して、プールサイドでバーベキューが多いようだった。 週末は何時も一杯の人が使っていた。

料理の先生は、後から思い出したが、ちょくちょくプールサイドで見かけた人で、何故か肌色の海水パンツにサングラスで、遠くから見るとヌーディストかと思った人だった。
まぁ、日本みたいに、最近は随分変わってきたが、実に色々な国の人が要るし、嘘か真かわからないゴシップが入り乱れて居る国だった。何人もから真実の話しだと聞いたけれどね。

特に今でも変わらないと思うが、習慣の違いから、日本人駐在員は余程夫が心配りが出来る人ではないと、家庭問題を多々抱える事になるようだった。
と料理教室に参加するだけでも、まぁ色々な国の人と一緒にと言うのは、駐在員だったからなのと、その国がアジアでは、やはり重要なポイントを締める国なのでしょうね。