ひつじのTime killing notebook

昔々ばかりってつまらなくなったので、最近の海外ニュースも雑記に...むっふ(=^m^=)♪

一度だけ行った夏休みの旅行

 

約4年間暮らしていた南の国で、子供の学校の長期休みには、一度だけ隣の国の島に旅行に行った。 情報は何もなくて、同行した夫の仕事関係の知り合いの夫婦と赤ちゃんが一緒だったのが救いだった旅行である。

宿泊は3泊4日の旅行である。情報はとにかく海が綺麗とテニスが出来るというものだけだった。 それでも、我が家は子供が夏休みなどであっても、出張が多い夫はどこかに家族サービスで出かけるなんて、2~3回あったかなぁ~の家なので、子供は訳も分からず大喜び。

私は嫌な予感しつつも、まぁ旅行だしぃ~と準備した。3泊4日と言っても大きめボストン1個で十分の旅。人の少ない小島だというし、何処行っても夏だし、宿泊はバンガローと言う名のベッド3個にトイレとシャワーだけの木の家で、ソファやテーブルは家の外のデッキにあるベンチとテーブルのみだった。食事だけは、ホテルの簡素なロビーわきの食堂に行くのだ。

夏休みだというのにホテルはガラガラだった。そこに行く飛行機も10数人乗りの双発機で、プロペラの音がやたらに賑やかで揺れる飛行機で、初めて酔ってしまった。

でもフライト時間は短く着いた飛行場は、ただの原っぱに、木の小さな小屋が飛行場の事務所だった。
ホテルから迎えの車が来ていると言うので乗ったけれど、TVなどで見る未開の地の乗り合いバスみたいに、小型トラックの荷台がベンチになっているだけで、凄いスピードでジャングルの中を走って10分くらいでホテルへついたが、粗っぽい運転に木のベンチでお尻が痛くなった。どうも、南の国の人の運転は荒っぽくて、スピード出し過ぎが多いようだ。
お客は一緒にトラックに乗った私達以外には白人の家族一組だけだった。

夫の情報で当たりだったのは、言われた通りそのまんまで、綺麗な熱帯魚が泳ぐ海と、ひび割れたコンクリートのテニスコート2面だけ、後は全く何もない。TVも無い、ラジオもない。夜の食事は、隣の席はなんだか肉を焼く時に炎が舞い上がるパフォーマンス付きディナーだったが、私たちは夫の意見通りに、行った先のローカルな食事をするのが一番の観光と言うので、3夜ともカレーだった。

連れの夫婦の奥さんは、物凄くご機嫌斜めなのが見て取れたが、私や子供は余計な事を言うと何十倍にもなって返ってくるので「休みに旅行に来ただけ、まだまし」と無言。
考えようによっては、めったに出来ない、原始的暮らしの体験旅行だった。

さすがに気が引けたのか、2日目には漁師がアルバイトでやっている船をチャーターして、無人島へ行って魚釣りして浜で焼いて食べると言うものだった。
しかし、一匹もかからず漁師さんが釣った魚を焼いて、食べて帰って来たのだった。本当に無人島で、それもすごく小さな島とは言えないような島で、大声出せば島中に聞こえる程度。それも若い漁師さんが怒こっていたが、観光客がゴミを捨てていくので、回収して戻ってきた。 私はそこの海岸でクレジットカードを拾ったら、連れの旦那様の落とした物だった。

港がないから、ぎりぎりまで接近した船から、途中まで下がっている梯子を下りて、海に飛び降りるのだ。泳げない人は嫌でしょうね。
乗るときは子供は漁師さんが子供をおぶって乗船したが、私たちは梯子までロープ上りでたどり着きよじ登って乗船。

アルバイトの漁師さんは、大学生だそうで、大学のクラスメイトと言う白人女学生と、暇さえあれば、日本人から見たら、ずっとイチャイチャしていると言う無人島行でした。まぁ、珍しいなかなか体験できない夏休み旅行だったともいえる。
子供がまだ何かと文句を言わない年齢だったので、良かったのですが、同行した人の奥さんはずっとご機嫌斜めの旅行でした。

私や連れで行った家の奥さんは、何も知らなかったので、普通のパンツスタイルで行ったので、帰るまでずっと海に飛び込んでの上陸だったので、ぬれねずみ状態でしたが、まぁ真夏の国でしたので、寒くはなかったけれど、気持ち悪い思いもしました。
それも思い返せば、忘れられない思い出旅行でしたね。
まぁそんな思いもしたので、多少の事には更に何も驚かない様になりました。
そうそう、イスラム教徒の居る国のホテルや宿泊所には、部屋の隅の天井には矢印が書かれていて、それはメッカの方向を表す印だと聞きました。

 

 

チャイニーズニューイヤー

日本で言うお正月は、私が暮らしていた、フラット群(集合住宅)では、欧米人がメィンの居住区だったので、プールサイドでカウントダウンパーティがあるだけで、年が明けてしまったら、2日頃に中国系の人のライオンダンスがジャーンジャーンと言うにぎやかな音でやってきただけでお終いだった。

学校も日本人学校は、冬休みはあったけれど、夏休みみたいなもので、夏よりも少し涼しくて雨が多い(雨季)だけだった。雨の降り方は集中豪雨のような雨が多かった。

2月の初めにあるチャイニーズニューイヤーはいかにもお正月で、真っ赤なお年玉袋(アンパオ?と言ったと思うが)があり、後は親戚や友達が集まり、日本のお正月の様にして過ごすのが、中国系の人達だった。チャイナタウンは勿論ライオンダンスやドラゴンダンス、爆竹と京劇で賑やかだ。中国人が賑やかなはずですね。

我が家も、夫の会社の女性の家に呼ばれて行ったのだけれど、オレンジを偶数もって(6個持って行ったと思う)訪問した。
中華風お節のようなお食事が出て、皆とても美味しかったけれど、中国人好きな夫も
さすがに手が出せなかったのが、スープである。

テーブルの真ん中にドンと置かれた大鍋は野菜たっぷりのいかにも美味しそうなスープ
なのだけれど、お玉のようなよそう物はなくて、皆直接スプーンをつっこんで口に運ぶ
のである。思わず引いてしまった。
そして言葉も、公用語はマンダリン(北京語)だけれど、中国人は凄く言語が多くて、中国人同士でも、まったく通じないそうで英語で話すんだそうだ。

丁寧にに話すマンダリンは私は嫌いではないが、飲食店などで話されている広東語は、大声でどなりあっているように聞こえるので、疲れてきた。
まぁ各省によって、まったく違う言語のようでした。

チャイニーズニューイヤーは大統領も国民も中国系が多いので、メィンストリートでは
パレードがあったりして、とても賑やかだった。
しかし、楽しい事ばかりでなく、チャイニーズニューイヤー前は物騒なので、あまり外
出はしないようにと長く暮らしている人から聞いていた。

日本の昔の暮れと同じで、皆お金が欲しい時なので、強盗などが多い時期なのだ。
それも恐ろしいのは、女性など指輪や装飾品の高価なものは狙われやすくて、後ろから
来て、刃物で指を切り落として、盗んでしまうと言う荒っぽさだそうだ。

その時だけでなく、日頃も私は知り合いに聞いていたので、財布は2個持ち歩いていた。一つは約5千円位入れておいて、襲われた時には逆らわずに渡してしまう為のものである。幸い怖い話を沢山聞いていたけれど、なんの被害も受けずに帰ってこられた。

日本も何時の間にか言われなくなったけれど、昔は暮れは大金を持ち歩いているから、危険な時だったと言われていた。
それで、給料その他が振り込み式になったのだと思う。

治安が良い国と言われていても、安全面に関しては日本は本当に安全で、夜中にも女性が一人歩きしたり、暮れごろには忘年会その他で酔っ払って、電車の中などで眠りこけている人が多いのには、外国人は驚くようだ。

まぁ犯罪被害にあったりもするけれど、その度合いが全然違いますね。

南の国のクリスマス

南の国に暮らし始めた時、最初に友達になったのは、我が家より3階下のオーストラリア人の友達だった。そして英語も彼女からずいぶん教わったが、クリスマスも近くなった頃(たぶん11月だと思う?)南の国の暑い季節のクリスマスは、どんなクリスマスなのかと言う話になった。
その時まで私は南半球にあるオーストラリアは、季節が真逆だと気が付かずに話していたら、ゲラゲラ笑いながら

「私は何時も真夏のクリスマスだから、クリスマスケーキはアイスクリームよ!」

と言われ

「えっ!そうだったの!」

とやっと気が付いた。 彼女にとっては、赤道直下の暑いクリスマスは、何の問題もない事だったのだ。
でも一応サンタさんはやってくるらしいが・・・
そしてその国のクリスマスは、街中の大きな木の並木道には豆電球がたくさん取り付けられて、とても綺麗だったが、凄い人混みで、ラッシュ時の新宿や東京駅みたいに混みあうものだった。

飾りは意外とシンプルだけれど、ニセアカシアの木のような大木に豆電球は、見事だった。でも私がお気に入りになったのは、植民地風の家が立ち並ぶ住宅街も、だれが飾るのか、赤いリボンがたくさん取り付けられている可愛い木が幾つも見られた事だった。すぐ横にバナナの木などが在ったりするのがご愛敬でもある。
暑いのが苦手な割に、野次馬の私は直ぐに情報を得ると、見に行ったりしたんですね。我が家には運転手付きの家族専用車などないので、何かと友達のお世話になった。西欧人は自分で車の運転する人がほとんどでしたので、結構アッシー君をしてくれた。

それ以外にも、ポンポンツリー(リンゴ状の青い実がなる)とか、ウインナーツリー(ウインナーソーセージみたいな実がなる)レイニーツリー(雨になる前に閉じる)などに、巧い事赤いリボンが飾られていて、とても可愛かったのを見かけた
クリスマスイヴ当日は、暮らしているフラット(高層マンション)5棟が(1ブロックになっている)プールサイドで、事務所にプレゼントとメッセージをつけて預けておくと、サンタさんに扮した人が大きな袋からプレゼントを出して、子供の名前を呼んで、膝に座らせて、Kissしてプレゼントを渡してくれるイベントがあった。
青い目のサンタさんなので、かつらや付け髭が本物みたいだし、よく見ると凄い汗だくでお気の毒なのだけれど、もう子供は本物のサンタさんに出会ったと思い込んでいた。

そして、ノルウェーのサンタランドには何時も手紙を出していたので、南の国であっても、ちゃんと日本語のメッセージが書かれた、カードが送られても来たので、私は親の面目が保てた。
子供は
「暑い国はサンタさんが来られないのも嫌だ」
と言っていたのだが、なんと言いつくろうか考えていたので、そのイベントは有難かった。

大人の私が見ても本物みたいで、感動したサンタさんでした。
後は昼間に私の友達などが協力してくれて、何時も父親不在の我が家に来てくれて、アイスクリームのクリスマスケーキを食べて、ささやかなクリスマスを過ごした。

何度目のクリスマスか忘れたが、姑さんと義姉が来たときは、夜の街にクリスマスデコレーションを見に出て行ったが、もうもみくちゃになって、暑いのと臭いとで、私は少々ぐったりだった。
近隣国からも見物客が来ていて、
その時に初めてスタイルの凄く良い美人トップモデル集団が闊歩する横を通ったが、ニューハーフ軍団だとか・・・

それ以外にも、その国はゲイに寛大なのか、ゲイカップルをよく目にした。最近TVでアラブ人は男同士手をつないで歩いたり、抱き合ったりするらしいと見聞きしたけれど、私が見た光景は、それとは違うように思った。

娯楽場らしきものは、その頃は一般人には全くなかったので、テニスをやるかブリッジやマージャンに熱中するか、ホテルでパーティをする。宝石や貴金属を買い求める集まり?で時間をつぶす人がほとんどの日本人の暮らしのようだった。

私はテニス以外は、持ち寄りランチをたまにするくらいで、パーティなど直ぐに飽きていく気なしで、PTAの集まりの時くらい出席だった。
「そこに駐在した時くらいしか」チャンスが無いんだから!」
と誘われたが、嫌みになるかもなので言わなかったけれど、私はホテルやクラブなどが沢山ある街で育ったので、若い時はいくらでもパーティに参加していたので、今更暑いのに出ていきたくなかった。

クリスマスのころは、大人も盛んにパーティをしていたようだけれど、主に外国人の友人に恵まれたので、彼女たちと過ごしていたので、あまり私にはお誘いは来なかった。
外国人の友達が多いと、ちょっと日本人には敬遠されるのである。
私も子供関係のママ友とそこそこ
に付き合うだけだったので、地味なホームパーティくらいのクリスマスを送っていた。
西欧人の子供は、クリスマスプレゼントも、意外と地味で素朴なプレゼントなのも学んだ。

日本人の子供は、ファミコン?TVゲームとか豪華なプレゼントが多かったように思う。そんなだから、現地の人には「日本人金持ち」と言われて、ひったくりとかのターゲットにされやすかったのではないかと思う。
でも、あの住宅街の赤いリボンだけのクリスマス飾りは、十分私を感動させてくれたのでした。

フルーツ天国

南の国と言ったら、やっぱりフルーツが盛りだくさんで、値段もものすごく安かった。日本と比べると、半値以下の物も多くあった。
私は甘いものはあまり好みではなかったのですが、子供のおやつにはお菓子よりもフルーツを食べさせていた。
オーストラリアからの輸入のフルーツも多く有り、メロンもフルーツはあまり食べない
私でも、美味しいと時々は食べたりする時があったくらいだ。


最近では日本でも時々見かけるようになったランプータン・ドラゴンフルーツ・スターフルーツ・ジャック
フルーツその他、色々なフルーツが市場に行くと一山2~300円くらいで買えた。
中にはカットして、割りばしのような棒にさして、氷の上に乗せて売られていて、出かけるとチョクチョク食べることあった。

やたらに甘いのが多い南国のフルーツだけれど、その中でも私のお気に入りはなんと言っても、一番美味しいと思ったフルーツは、マンゴスチンである。
甘いのが好きでなくても、程よく甘酸っぱくて、半透明の果肉はジュースがタップリだ。 もう10年くらい前になるかと思うのですが、輸入解禁になって、日本に入ってきたのを食べたが、まるでミイラになったマンゴスチンという感じで、値段も目が飛び出るくらい髙かった。

やっぱり何でも現地でが美味しいような気がする。気候とも関係していますからね。

それから、市場に行ったら「それは日本人は嫌いだよ」というスターフルーツも、私はお気に入りだった。
どれも、やたらに甘くないのが好きだったのですね。

 

何月だったか忘れたが、ドリアンがタイ辺りから入ってくると、ドリアン市場が開かれて、現地の人で賑わっていた。
住んでいた地区ではドリアン禁止令が出ているので、持ち帰れないフルーツだったので、市場で立ち食いしてきたことがあった。

何たって匂いが凄い!食べたら3日くらい体が臭うのである。でも試しにと知り合いが連れて行ってくれたが、私は全く問題なく、食べられたが、甘いので又食べたいとは思わなかった。フルーツの王様と言うのだそうだが、好きな人は食べずにいられなくなるなるのだそうだ。
日本だと一個1万円以上で売られていると聞いたが、現地では高いものでも1000円位だったと思う。

TVで見たが昨年位から,グリーンぽい色の種無しブドウが「このまま凍らせて皮ごと食べられます」と売られるようになったようだけれど、南の国では昔からオーストラリア産が安くて、そのまま冷凍して、シャーベットのように食べていた。
結構色々なフルーツを切って冷凍にしたものを、子供も私もつまんでいたから、アイスクリームは暑かった割には買って食べる事はなかったように思う。

バナナなどは、その辺りに野生のが生えていて、少しジャングルのほうへ行けば、野生のバナナが生っていたりした。
あるとき友達の家に行く途中で見つけたバナナが、もう少しで食べごろなのを見つけたので、友達と時期が来たら取って食べようと言っていたら、時期が来たらカタツムリやその他の虫などが食い荒らしていて、ガッカリしたことがあった。 
マンゴーやその他野生のフルーツは、チョクチョク見かけました。

大概のフルーツがあったような気がしますが.....? リンゴやミカンはなかったような気がする。
地元市場に行けば、本当に安く野菜やフルーツや、魚その他食料品は格安でした。
ただし市場のあの臭いだけは、すべての匂いがミックスされて凄いのですね。
外国人向けのマーケットは、きれいだけれど値段も、それなりの値段だったのですが、元英国領だっただけあって、美味しいパン屋さんは、のちに見つけました。

食料品は日本は凄く高いですね。
暮らしに密着した食料品は、安くしてほしいとうものだ。ほかの物は税金が高くても、食品はねぇ~と思う。人が生きるためにどうしても必要な物ですからね。

チャイナタウンはミステリアス

何処の国に行っても、チャイナタウンがあり、繁栄しているようですね。
ガラガラに空いているチャイナタウンは、見たことがなかったですから、中国人は商売上手。 何処の国といっても、4ヶ国しか訪れてはいませんが、色々な国の人が訪れる街だった。 大概の人の目的は、安くて美味しい食べ物だろう。

 

マーケットがあれば、朝5時くらいには隣接されているフードコートが開いていて、良い匂いが漂っている。
そして賑やかに朝食を家族で食べていたりするのだ。
多くの人が家では調理はしないようで、外食のほうが安上がり?なそうだ。

 

何しろ4本足の物で食べない物は、ピアノや椅子の足とか言われている民族です。鳥やいろいろな動物を売っている店も、ペットショップではなくて、食料品として売られている。
食器や炊事道具を売っている店、サンダル下駄の店は黒く塗られた木の台に数種類のビニールのカラフルな5~6センチ幅のベルトが置かれていて、足に合わせて切って、サンダル下駄の側面に鋲で留めてくれるのだ。
確か当時の値段で、外国人は300円くらい取られて、地元民は半額~200円くらいだったと思う。日本にも昔は庭用の木のサンダルがありましたよね。
この店では、見せの親父さんが実に感じ悪くって! 買わずに出ようと思ったら、優しそうなお客さんのお婆さんが手招きして、椅子を空けれくれて、オジサンに何か言っていたので、買ってきたが、タイル張りの床には煩かった。

 

チャイナタウンでは、素焼きの焙烙みたいな、カレーを作るポットを買いに寄った時も、店主に睨まれてシッシと追い払われバケツの水を掛けられたりと、日本人大嫌いな人にも結構出会いました。
にもかかわらず、私は何度も行っていますが・・・街角の外には壁沿いに床屋さんが店を出していたり、耳の掃除やさんが居たりして、とても面白かった。

吃驚したのは、地面にシートを敷いて、キャベツや白菜などの捨ててしまうような野菜くずばかり格安で売っている人も居ました。買う人もいるのだから、貧しい人も沢山いたのでしょうね。

中途半端な雑貨(古びたズボンのベルト、靴片方、鍋のふた等)何でもありみたいな店を広げている露天商も居た。見ているだけで楽しめた。
何だか恐ろしげな、訳わからないような見せもありましたが、観光客が訪れそうなところには、それなりの店が並んでいた。

 

と、思い出しました。おもちゃ屋さんみたいな葬儀用の張子を売っている店もありました。船や飛行機、作り物の金銀財宝ではないのですが、お金とかがあり、死者があの世に旅立つ時にそれら持って旅立てるようにと言う事だそうだ。財産に拘る民族なのですね。
道教の寺院もお線香がやたらに長いお線香が使われていて、煙がモクモクしていた。

 

あまりに嫌われるので、何時も来る中国人グロッサリーに聞いたら、個人的には好きな人も居るけれど、日本人はお客様としては上得意だけれど、大嫌いだと言われた。

それは中国人を上から目線で見る人がほとんどだからだそうだし、戦争の話がからんでくるからだそうだった。でも、とても親切な人も沢山居ました。

 

一番楽しいのは、やっぱりお月見やチャイニーズニューイヤーの時などは、街中で京劇などやっているのを見るのも、面白かった。

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結構歌舞伎などこの辺りから、アレンジされて今に至ったのでは?と思われるんだけれどね。 歴史は中国のほうが古いでしょうから・・・
でも実に共通するものがあるなぁ~と思って見てきました。 何時行っても活気のある街でしたね。
流石に裏の方の、住人以外は行かないような路地の奥には行きませんでしたが、近くまでは行きました。でもこれ以上は、立ち入りしないほうが良いと感じる物を見たのでそこまでとした。

何処の国にもその国ならはでの事情などがあり、見なかったふりも必要だと思うし、立ち入るべきでは世界ではない場所はあるはず。その当たりは日本人は鈍感だと、皆の話から感じたのだった。

イベントがいっぱいある国だった♪

南の国は多国籍国家なので、各国各宗教のお祭りが沢山有る国でした。まず最初に行ったお祭りは
ヒンズー教のタイプーサムと言う降誕祭です。

タイプーサム1~2月頃 朝5時スタート

 

https://youtu.be/TmZHuyVpcVI

 

その次がチャイニーズニューイヤー旧暦2月頃

 

https://youtu.be/PdrlDHQNOFE

 

そして、関係有りませんがアザーンの動画を見つけたので・・・聞いた事無い人が多いのではないでしょうか・・・お祈りが始まりますよと言うところでしょうか!かなりの大音量なのです。今多くの問題になっていますが、南の国に住んだものにとっては、これが聞こえるのは、生活の一部でした。

https://youtu.be/_SP3oV7MCaM

イスラム教の国でお正月に匹敵するのはラマダン明けの大祭(イード)」。イスラム暦の第9月が断食月=ラマダンで、マホメットが神からコーランを授かった月でひと月の間、日の出ている間は断食という節制した生活で、幼児や妊婦、兵士、体力が居る特別な職業の人以外の人たちは、日中はたばこやお茶も口に入れないし、昔はつばも飲まなかったそうだ。ラマダン明け前は学校もお休みになり、家のお掃除をして御馳走の用意。確か正月やクリスマスみたいなものは無かったと思うのです。日没に食べるクッキーは買いに行きましたが、とても美味しかった印象がある。


そして、1日5回アザーン(お祈り)が聞こえあり、遠くで聞く分には長閑なのですが、近くの人はかなりの音量で聞く事になります。
日本の外国人が多く泊まる都心のホテルには、あるのかもしれませんが、他国ではホテルの部屋の天井にはメッカの方向を示す矢印が描かれていますし、聖書も置かれています。

多くの国の人が暮らす国では、これ以外にもお祭りごとや色々と風習の違いが有り、私は興味深く見にいけるものは見に行きました。
お月見にあたるランタンフェスティバルにはムーンケーキ(月餅)が売られますが、日本の月餅とはちょっと違っていて、チャイナタウン等で売られているようないろいろな物が入っている大きなムーンケーキでした。


タイプーサムも残酷だと言われて、本国のインドでは禁止されたと当時聞きました。マレーシアあたりが賑やかに行われるようです。皮膚に針など刺すので、痛そうだけれど、不思議ちゃんが多いインドですから、私はそれほど残酷感は無く見てきました。自主的にやっているのでしょうからね。

凄く変わったお祭りを色々見られましたが、考えたら日本も国内では、東京に居ては知れない変わったお祭りが沢山ありますよね。だから海外に行ったら、益々変わった風習や、お祭りがあっても全然おかしくないでしょう。
チャイニーズニューイヤーはチャイナタウンにも出かけて来ましたが、街は物凄く活気があり、ライオンダンスやドラゴンダンス、京劇等が見られました。京劇と言うのも、何とも変わったリズムで・・・まぁインドも変わっていましたが・・・説明しがたいものですね。ジャーンジャーンジャーン、チャカチャカゝゝ、、、と忙しない。インド音楽も益々表現しにくいですね。

確かクリスマス?年末には、メィンストリートではパレードが行われて、世界彼方此方の国が参加してのパレードがありました。
日本は日本人学校の児童達が阿波踊りをやりました。
阿波踊りが代表するお祭りなのでしょうかしらね? 一番経費がかからなく(法被のみ)て、子供も出来るからでしょうか・・・。

まぁ暑くて、私は苦手な気候でしたから、なるべく面白楽しく過ごそうと、彼方此方見に行ったりしたのです。子供を学校に送り出したら遊びに出て行くと言う感じで過ごしていた。お陰で色々な人に教わり、お祭りやイベント情報を仕入れて遊んでいました。

今思えば、少々危険?な行為だったかもですが、最新の注意はして出かけた。
ヒンズー教は、寺院前を通りかかった時に、変わった何時もとは違う装飾がされていた時があり、中に居る人に聞いたら結婚式をやっているところで除いても良いというので、靴を脱ぐのが面倒なのと、脱いだ靴がなくなることもあるので、這ってチラッと見せてもらった。
ヒンズーのお寺は中が暗くてよく見えずに、ライムの香りをかいだだけで終わった。ローカルの街に行くと、靴片方だけ売っていたりするから、揃っていたら無くなる確率は高いのだ。脱いでおいた方が悪いのだ。
入り口にはバナナのつぼみを向き合わせにして、色々飾り付けているのが結婚式だそうでした。

中国系の人は、新郎新婦はベンツに乗って、ベンツのフロントにりかちゃん?バービー?のカップル人形(りかちゃんらしい)を立てて、街中を走るのです。結構見せびらかすのが好きな人たちですね。
と小さな事ですが、こんな事や葬儀の仕方も違っていたりで、世の中面白い事がいっぱいだと思ったものでした。

格差社会が国を発展させた国

ふと思った事の割にはえらそうなタイトルになってしまったのですが・・・

私が昔々暮らした国は、今日ちょっとどんな国だったか見てみたら滞在した1984年頃は独立して10年と聞いていたと思ったが、1965年に独立したようだ。彼方此方の植民地になったりで、この国だけでなく近隣国も実に苦労の多い歴史を歩んで来たと思われるのですが、暮らして見て感じたのは、中国系の人は日本人嫌いが多く、他国民系はそれほどではないような印象だった。

 

そして、私が滞在した頃は、物凄く格差がある社会で、独裁政治の国という印象でした。些細な事も国を悪く言う者は厳しく罰せられるので、噂話もヒソヒソ声でという感じです。

そして当時、怪しい日本人に案内してもらい、普通では見せてはならない、裏の町を車で案内してもらった。国民は自由で明るい印象と、その正反対の印象と両方を感じたものです。

両面性がはっきりありましたが、私はTOPであった首相は素晴らしい実力のある人だと思ったのです。 強引なくらいの手腕で有ったから、国は素晴らしく成長して、国民所得率の高い国に発展させたのですからね。

その人の一声で、あっという間に家が取り壊され、公園になってしまったりなど驚く事ではなかったようだ。それによって、観光客が沢山来るようにもなり、外資系会社が入ってきて、国は雇用を生み元気になっていったのでしょう。


しかしその裏には、未だにグレーゾーンが多分どうどうとまかり通っているのではないかと思われるのです。観光客や余所者が行くようなところは、今は実に美しく近代的で、華やかな顔を見せているけれど、今はTOPも代替わりしていますが、内情はあまりお変わりなくなのではないでしょうか?


この国だけでなく、国を大きく変えて、発展させるのは格差社会のある社会のような気がするのです。
日本のように、何もかも皆一緒が好きな国民の国は、穏やかで良いようだけれど、尻すぼみで退化して行くのは目に見えていると思うのです。

など等、過去に滞在した国と日本を比較すると、一見しただけでもその違いが判ると言うものですね。

妙に小奇麗な日本、穏やかそうで、全てがこじんまりと纏まっていて、激しい変化は流行する諸々だけで、本質は昔から変わらず、親子兄弟親族が和合して暮らすのが良しで纏まってしまう。
一寸人と違う事をすれば、のけ者にされ、大人しく暮らしている者、弱者を隠れていじめると言う集団行為の多い国が日本ではないでしょうか。

「私はこう思います!」なんて、皆と違った意見を言おうものなら、言った人の家族一族後ろ指指されるでしょうね。


それと比べたら、暮らしていた国や訪れた国は何処も、他民族が犇めき合って暮らしている国なので、髪の色から目の色、肌の色、言語が色々で当たり前の国ばかりだった。
久しぶりに一時帰国した時に、子供が発した第一声が「わぁ~皆同じ言葉で話しているねぇ~」だった。 子供などは即暮らした国の文化に馴染んでしまうのでしょうね。それはとても奇妙に感じる事だったのです。

でも今の日本は、老人の髪の色から、オタクファッション、世界で一番度派手な国ですね。白髪の高齢者が最も少ないようにも思います。でも高齢者は最も多いのかもしれません。


今でも日本にもグレーゾーンの場所などあるのかも知れませんが、海外のそれと比べたら、ささやかなもののような気がする。
美しくクリーンで新しく生まれた近代都市になった、南の国はその直ぐ真裏で、相変わらず薬や身を売る女性達が、公然と存在していて、罪人の裁き方も昔ながらの鞭打ちの刑などが健在だそうだ。


上位で暮らしている人は海外や国内の大学を卒業して、近代的な暮らしが当たり前で、そうではない多数派は、未だ暑い国なので、簡単な家で村を作って暮らしていたり、やたらに超高層な公営住宅に期限付きで暮らしている事でしょう。
そこに暮らす外国人達の話からも、色々な文化を知り、非常に興味深かったものです。日本人は直ぐにTOKYOを世界の大都市の中に収めたがるが、見かけはそうなのかもしれないけれど、私の暮らした南の国は、色々トータルすると、アジアでは日本よりも勝っているのではないかと思うことも多かった。

でも賢いと言うのか、TOPとは言われないメリットを十分生かして、土台はシッカリ築いているように思うのは、気のせいでしょうかしらね?
多国籍国家で、彼方此方の植民地になったり、くっついたり離れたりしながら、地下茎はシッカリ伸ばして何かあってもびくともしない国という気がする。


日本は上物は良いように見えても、一つが倒れたらドミノ倒しのように、一気に倒れてしまうような気がする。それは皆同じ方向を見て暮らしているからではないかと思うんだけれどね?細かい注意を手取り足取り、注意事項を放送したり、ポスターにして張り付けたりしてくれて、自分で考えなくても良いように洗脳されているような気がする時がある。


今後の世界情勢はどうなって行くのか、過去に暮らした国を見ることで、足元の国の見方も一寸変わったりしている。まずはアメリカがどのように変わるでしょうか?そしてヨーロッパは?アジア諸国は・・・?対近隣諸国にたいしても、日本はきっぱり激しく意思表示をしていないような?
これが敗戦国だということなのでしょうかしらね。戦後生まれの私でさえ、正確には良く判らない戦争問題ですから、次世代はもっとわからないでしょうね。取り残された国日本を感じてならないのです。大昔に訪れた、滞在した国は比べようもなくパワフルだったなぁ~と思うのだ。