ひつじのTime killing notebook

o(`▽`o)β。.:*・゚♪*・世界には色々な事が有りまして全画面で見てくれたら嬉しいで~す🎵

一度だけ行った夏休みの旅行

 

約4年間暮らしていた南の国で、子供の学校の長期休みには、一度だけ隣の国の島に旅行に行った。 情報は何もなくて、同行した夫の仕事関係の知り合いの夫婦と赤ちゃんが一緒だったのが救いだった旅行である。

宿泊は3泊4日の旅行である。情報はとにかく海が綺麗とテニスが出来るというものだけだった。 それでも、我が家は子供が夏休みなどであっても、出張が多い夫はどこかに家族サービスで出かけるなんて、2~3回あったかなぁ~の家なので、子供は訳も分からず大喜び。

私は嫌な予感しつつも、まぁ旅行だしぃ~と準備した。3泊4日と言っても大きめボストン1個で十分の旅。人の少ない小島だというし、何処行っても夏だし、宿泊はバンガローと言う名のベッド3個にトイレとシャワーだけの木の家で、ソファやテーブルは家の外のデッキにあるベンチとテーブルのみだった。食事だけは、ホテルの簡素なロビーわきの食堂に行くのだ。

夏休みだというのにホテルはガラガラだった。そこに行く飛行機も10数人乗りの双発機で、プロペラの音がやたらに賑やかで揺れる飛行機で、初めて酔ってしまった。

でもフライト時間は短く着いた飛行場は、ただの原っぱに、木の小さな小屋が飛行場の事務所だった。
ホテルから迎えの車が来ていると言うので乗ったけれど、TVなどで見る未開の地の乗り合いバスみたいに、小型トラックの荷台がベンチになっているだけで、凄いスピードでジャングルの中を走って10分くらいでホテルへついたが、粗っぽい運転に木のベンチでお尻が痛くなった。どうも、南の国の人の運転は荒っぽくて、スピード出し過ぎが多いようだ。
お客は一緒にトラックに乗った私達以外には白人の家族一組だけだった。

夫の情報で当たりだったのは、言われた通りそのまんまで、綺麗な熱帯魚が泳ぐ海と、ひび割れたコンクリートのテニスコート2面だけ、後は全く何もない。TVも無い、ラジオもない。夜の食事は、隣の席はなんだか肉を焼く時に炎が舞い上がるパフォーマンス付きディナーだったが、私たちは夫の意見通りに、行った先のローカルな食事をするのが一番の観光と言うので、3夜ともカレーだった。

連れの夫婦の奥さんは、物凄くご機嫌斜めなのが見て取れたが、私や子供は余計な事を言うと何十倍にもなって返ってくるので「休みに旅行に来ただけ、まだまし」と無言。
考えようによっては、めったに出来ない、原始的暮らしの体験旅行だった。

さすがに気が引けたのか、2日目には漁師がアルバイトでやっている船をチャーターして、無人島へ行って魚釣りして浜で焼いて食べると言うものだった。
しかし、一匹もかからず漁師さんが釣った魚を焼いて、食べて帰って来たのだった。本当に無人島で、それもすごく小さな島とは言えないような島で、大声出せば島中に聞こえる程度。それも若い漁師さんが怒こっていたが、観光客がゴミを捨てていくので、回収して戻ってきた。 私はそこの海岸でクレジットカードを拾ったら、連れの旦那様の落とした物だった。

港がないから、ぎりぎりまで接近した船から、途中まで下がっている梯子を下りて、海に飛び降りるのだ。泳げない人は嫌でしょうね。
乗るときは子供は漁師さんが子供をおぶって乗船したが、私たちは梯子までロープ上りでたどり着きよじ登って乗船。

アルバイトの漁師さんは、大学生だそうで、大学のクラスメイトと言う白人女学生と、暇さえあれば、日本人から見たら、ずっとイチャイチャしていると言う無人島行でした。まぁ、珍しいなかなか体験できない夏休み旅行だったともいえる。
子供がまだ何かと文句を言わない年齢だったので、良かったのですが、同行した人の奥さんはずっとご機嫌斜めの旅行でした。

私や連れで行った家の奥さんは、何も知らなかったので、普通のパンツスタイルで行ったので、帰るまでずっと海に飛び込んでの上陸だったので、ぬれねずみ状態でしたが、まぁ真夏の国でしたので、寒くはなかったけれど、気持ち悪い思いもしました。
それも思い返せば、忘れられない思い出旅行でしたね。
まぁそんな思いもしたので、多少の事には更に何も驚かない様になりました。
そうそう、イスラム教徒の居る国のホテルや宿泊所には、部屋の隅の天井には矢印が書かれていて、それはメッカの方向を表す印だと聞きました。

 

 

チャイニーズニューイヤー

日本で言うお正月は、私が暮らしていた、フラット群(集合住宅)では、欧米人がメィンの居住区だったので、プールサイドでカウントダウンパーティがあるだけで、年が明けてしまったら、2日頃に中国系の人のライオンダンスがジャーンジャーンと言うにぎやかな音でやってきただけでお終いだった。

学校も日本人学校は、冬休みはあったけれど、夏休みみたいなもので、夏よりも少し涼しくて雨が多い(雨季)だけだった。雨の降り方は集中豪雨のような雨が多かった。

2月の初めにあるチャイニーズニューイヤーはいかにもお正月で、真っ赤なお年玉袋(アンパオ?と言ったと思うが)があり、後は親戚や友達が集まり、日本のお正月の様にして過ごすのが、中国系の人達だった。チャイナタウンは勿論ライオンダンスやドラゴンダンス、爆竹と京劇で賑やかだ。中国人が賑やかなはずですね。

我が家も、夫の会社の女性の家に呼ばれて行ったのだけれど、オレンジを偶数もって(6個持って行ったと思う)訪問した。
中華風お節のようなお食事が出て、皆とても美味しかったけれど、中国人好きな夫も
さすがに手が出せなかったのが、スープである。

テーブルの真ん中にドンと置かれた大鍋は野菜たっぷりのいかにも美味しそうなスープ
なのだけれど、お玉のようなよそう物はなくて、皆直接スプーンをつっこんで口に運ぶ
のである。思わず引いてしまった。
そして言葉も、公用語はマンダリン(北京語)だけれど、中国人は凄く言語が多くて、中国人同士でも、まったく通じないそうで英語で話すんだそうだ。

丁寧にに話すマンダリンは私は嫌いではないが、飲食店などで話されている広東語は、大声でどなりあっているように聞こえるので、疲れてきた。
まぁ各省によって、まったく違う言語のようでした。

チャイニーズニューイヤーは大統領も国民も中国系が多いので、メィンストリートでは
パレードがあったりして、とても賑やかだった。
しかし、楽しい事ばかりでなく、チャイニーズニューイヤー前は物騒なので、あまり外
出はしないようにと長く暮らしている人から聞いていた。

日本の昔の暮れと同じで、皆お金が欲しい時なので、強盗などが多い時期なのだ。
それも恐ろしいのは、女性など指輪や装飾品の高価なものは狙われやすくて、後ろから
来て、刃物で指を切り落として、盗んでしまうと言う荒っぽさだそうだ。

その時だけでなく、日頃も私は知り合いに聞いていたので、財布は2個持ち歩いていた。一つは約5千円位入れておいて、襲われた時には逆らわずに渡してしまう為のものである。幸い怖い話を沢山聞いていたけれど、なんの被害も受けずに帰ってこられた。

日本も何時の間にか言われなくなったけれど、昔は暮れは大金を持ち歩いているから、危険な時だったと言われていた。
それで、給料その他が振り込み式になったのだと思う。

治安が良い国と言われていても、安全面に関しては日本は本当に安全で、夜中にも女性が一人歩きしたり、暮れごろには忘年会その他で酔っ払って、電車の中などで眠りこけている人が多いのには、外国人は驚くようだ。

まぁ犯罪被害にあったりもするけれど、その度合いが全然違いますね。

南の国のクリスマス

南の国に暮らし始めた時、最初に友達になったのは、我が家より3階下のオーストラリア人の友達だった。そして英語も彼女からずいぶん教わったが、クリスマスも近くなった頃(たぶん11月だと思う?)南の国の暑い季節のクリスマスは、どんなクリスマスなのかと言う話になった。
その時まで私は南半球にあるオーストラリアは、季節が真逆だと気が付かずに話していたら、ゲラゲラ笑いながら

「私は何時も真夏のクリスマスだから、クリスマスケーキはアイスクリームよ!」

と言われ

「えっ!そうだったの!」

とやっと気が付いた。 彼女にとっては、赤道直下の暑いクリスマスは、何の問題もない事だったのだ。
でも一応サンタさんはやってくるらしいが・・・
そしてその国のクリスマスは、街中の大きな木の並木道には豆電球がたくさん取り付けられて、とても綺麗だったが、凄い人混みで、ラッシュ時の新宿や東京駅みたいに混みあうものだった。

飾りは意外とシンプルだけれど、ニセアカシアの木のような大木に豆電球は、見事だった。でも私がお気に入りになったのは、植民地風の家が立ち並ぶ住宅街も、だれが飾るのか、赤いリボンがたくさん取り付けられている可愛い木が幾つも見られた事だった。すぐ横にバナナの木などが在ったりするのがご愛敬でもある。
暑いのが苦手な割に、野次馬の私は直ぐに情報を得ると、見に行ったりしたんですね。我が家には運転手付きの家族専用車などないので、何かと友達のお世話になった。西欧人は自分で車の運転する人がほとんどでしたので、結構アッシー君をしてくれた。

それ以外にも、ポンポンツリー(リンゴ状の青い実がなる)とか、ウインナーツリー(ウインナーソーセージみたいな実がなる)レイニーツリー(雨になる前に閉じる)などに、巧い事赤いリボンが飾られていて、とても可愛かったのを見かけた
クリスマスイヴ当日は、暮らしているフラット(高層マンション)5棟が(1ブロックになっている)プールサイドで、事務所にプレゼントとメッセージをつけて預けておくと、サンタさんに扮した人が大きな袋からプレゼントを出して、子供の名前を呼んで、膝に座らせて、Kissしてプレゼントを渡してくれるイベントがあった。
青い目のサンタさんなので、かつらや付け髭が本物みたいだし、よく見ると凄い汗だくでお気の毒なのだけれど、もう子供は本物のサンタさんに出会ったと思い込んでいた。

そして、ノルウェーのサンタランドには何時も手紙を出していたので、南の国であっても、ちゃんと日本語のメッセージが書かれた、カードが送られても来たので、私は親の面目が保てた。
子供は
「暑い国はサンタさんが来られないのも嫌だ」
と言っていたのだが、なんと言いつくろうか考えていたので、そのイベントは有難かった。

大人の私が見ても本物みたいで、感動したサンタさんでした。
後は昼間に私の友達などが協力してくれて、何時も父親不在の我が家に来てくれて、アイスクリームのクリスマスケーキを食べて、ささやかなクリスマスを過ごした。

何度目のクリスマスか忘れたが、姑さんと義姉が来たときは、夜の街にクリスマスデコレーションを見に出て行ったが、もうもみくちゃになって、暑いのと臭いとで、私は少々ぐったりだった。
近隣国からも見物客が来ていて、
その時に初めてスタイルの凄く良い美人トップモデル集団が闊歩する横を通ったが、ニューハーフ軍団だとか・・・

それ以外にも、その国はゲイに寛大なのか、ゲイカップルをよく目にした。最近TVでアラブ人は男同士手をつないで歩いたり、抱き合ったりするらしいと見聞きしたけれど、私が見た光景は、それとは違うように思った。

娯楽場らしきものは、その頃は一般人には全くなかったので、テニスをやるかブリッジやマージャンに熱中するか、ホテルでパーティをする。宝石や貴金属を買い求める集まり?で時間をつぶす人がほとんどの日本人の暮らしのようだった。

私はテニス以外は、持ち寄りランチをたまにするくらいで、パーティなど直ぐに飽きていく気なしで、PTAの集まりの時くらい出席だった。
「そこに駐在した時くらいしか」チャンスが無いんだから!」
と誘われたが、嫌みになるかもなので言わなかったけれど、私はホテルやクラブなどが沢山ある街で育ったので、若い時はいくらでもパーティに参加していたので、今更暑いのに出ていきたくなかった。

クリスマスのころは、大人も盛んにパーティをしていたようだけれど、主に外国人の友人に恵まれたので、彼女たちと過ごしていたので、あまり私にはお誘いは来なかった。
外国人の友達が多いと、ちょっと日本人には敬遠されるのである。
私も子供関係のママ友とそこそこ
に付き合うだけだったので、地味なホームパーティくらいのクリスマスを送っていた。
西欧人の子供は、クリスマスプレゼントも、意外と地味で素朴なプレゼントなのも学んだ。

日本人の子供は、ファミコン?TVゲームとか豪華なプレゼントが多かったように思う。そんなだから、現地の人には「日本人金持ち」と言われて、ひったくりとかのターゲットにされやすかったのではないかと思う。
でも、あの住宅街の赤いリボンだけのクリスマス飾りは、十分私を感動させてくれたのでした。