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ひつじのTime killing notebook

昔々、気がつけば更に昔の海外暮らしや旅行などで、見たり聞いたり体験を!所変われば常識も違ったりしてね。  むっふ(=^m^=)♪

イベントがいっぱいある国だった♪

南の国は多国籍国家なので、各国各宗教のお祭りが沢山有る国でした。まず最初に行ったお祭りは
ヒンズー教のタイプーサムと言う降誕祭です。

タイプーサム1~2月頃 朝5時スタート

 

https://youtu.be/TmZHuyVpcVI

 

その次がチャイニーズニューイヤー旧暦2月頃

 

https://youtu.be/PdrlDHQNOFE

 

そして、関係有りませんがアザーンの動画を見つけたので・・・聞いた事無い人が多いのではないでしょうか・・・お祈りが始まりますよと言うところでしょうか!かなりの大音量なのです。今多くの問題になっていますが、南の国に住んだものにとっては、これが聞こえるのは、生活の一部でした。

https://youtu.be/_SP3oV7MCaM

イスラム教の国でお正月に匹敵するのはラマダン明けの大祭(イード)」。イスラム暦の第9月が断食月=ラマダンで、マホメットが神からコーランを授かった月でひと月の間、日の出ている間は断食という節制した生活で、幼児や妊婦、兵士、体力が居る特別な職業の人以外の人たちは、日中はたばこやお茶も口に入れないし、昔はつばも飲まなかったそうだ。ラマダン明け前は学校もお休みになり、家のお掃除をして御馳走の用意。確か正月やクリスマスみたいなものは無かったと思うのです。日没に食べるクッキーは買いに行きましたが、とても美味しかった印象がある。


そして、1日5回アザーン(お祈り)が聞こえあり、遠くで聞く分には長閑なのですが、近くの人はかなりの音量で聞く事になります。
日本の外国人が多く泊まる都心のホテルには、あるのかもしれませんが、他国ではホテルの部屋の天井にはメッカの方向を示す矢印が描かれていますし、聖書も置かれています。

多くの国の人が暮らす国では、これ以外にもお祭りごとや色々と風習の違いが有り、私は興味深く見にいけるものは見に行きました。
お月見にあたるランタンフェスティバルにはムーンケーキ(月餅)が売られますが、日本の月餅とはちょっと違っていて、チャイナタウン等で売られているようないろいろな物が入っている大きなムーンケーキでした。


タイプーサムも残酷だと言われて、本国のインドでは禁止されたと当時聞きました。マレーシアあたりが賑やかに行われるようです。皮膚に針など刺すので、痛そうだけれど、不思議ちゃんが多いインドですから、私はそれほど残酷感は無く見てきました。自主的にやっているのでしょうからね。

凄く変わったお祭りを色々見られましたが、考えたら日本も国内では、東京に居ては知れない変わったお祭りが沢山ありますよね。だから海外に行ったら、益々変わった風習や、お祭りがあっても全然おかしくないでしょう。
チャイニーズニューイヤーはチャイナタウンにも出かけて来ましたが、街は物凄く活気があり、ライオンダンスやドラゴンダンス、京劇等が見られました。京劇と言うのも、何とも変わったリズムで・・・まぁインドも変わっていましたが・・・説明しがたいものですね。ジャーンジャーンジャーン、チャカチャカゝゝ、、、と忙しない。インド音楽も益々表現しにくいですね。

確かクリスマス?年末には、メィンストリートではパレードが行われて、世界彼方此方の国が参加してのパレードがありました。
日本は日本人学校の児童達が阿波踊りをやりました。
阿波踊りが代表するお祭りなのでしょうかしらね? 一番経費がかからなく(法被のみ)て、子供も出来るからでしょうか・・・。

まぁ暑くて、私は苦手な気候でしたから、なるべく面白楽しく過ごそうと、彼方此方見に行ったりしたのです。子供を学校に送り出したら遊びに出て行くと言う感じで過ごしていた。お陰で色々な人に教わり、お祭りやイベント情報を仕入れて遊んでいました。

今思えば、少々危険?な行為だったかもですが、最新の注意はして出かけた。
ヒンズー教は、寺院前を通りかかった時に、変わった何時もとは違う装飾がされていた時があり、中に居る人に聞いたら結婚式をやっているところで除いても良いというので、靴を脱ぐのが面倒なのと、脱いだ靴がなくなることもあるので、這ってチラッと見せてもらった。
ヒンズーのお寺は中が暗くてよく見えずに、ライムの香りをかいだだけで終わった。ローカルの街に行くと、靴片方だけ売っていたりするから、揃っていたら無くなる確率は高いのだ。脱いでおいた方が悪いのだ。
入り口にはバナナのつぼみを向き合わせにして、色々飾り付けているのが結婚式だそうでした。

中国系の人は、新郎新婦はベンツに乗って、ベンツのフロントにりかちゃん?バービー?のカップル人形(りかちゃんらしい)を立てて、街中を走るのです。結構見せびらかすのが好きな人たちですね。
と小さな事ですが、こんな事や葬儀の仕方も違っていたりで、世の中面白い事がいっぱいだと思ったものでした。

格差社会が国を発展させた国

ふと思った事の割にはえらそうなタイトルになってしまったのですが・・・

私が昔々暮らした国は、今日ちょっとどんな国だったか見てみたら滞在した1984年頃は独立して10年と聞いていたと思ったが、1965年に独立したようだ。彼方此方の植民地になったりで、この国だけでなく近隣国も実に苦労の多い歴史を歩んで来たと思われるのですが、暮らして見て感じたのは、中国系の人は日本人嫌いが多く、他国民系はそれほどではないような印象だった。

 

そして、私が滞在した頃は、物凄く格差がある社会で、独裁政治の国という印象でした。些細な事も国を悪く言う者は厳しく罰せられるので、噂話もヒソヒソ声でという感じです。

そして当時、怪しい日本人に案内してもらい、普通では見せてはならない、裏の町を車で案内してもらった。国民は自由で明るい印象と、その正反対の印象と両方を感じたものです。

両面性がはっきりありましたが、私はTOPであった首相は素晴らしい実力のある人だと思ったのです。 強引なくらいの手腕で有ったから、国は素晴らしく成長して、国民所得率の高い国に発展させたのですからね。

その人の一声で、あっという間に家が取り壊され、公園になってしまったりなど驚く事ではなかったようだ。それによって、観光客が沢山来るようにもなり、外資系会社が入ってきて、国は雇用を生み元気になっていったのでしょう。


しかしその裏には、未だにグレーゾーンが多分どうどうとまかり通っているのではないかと思われるのです。観光客や余所者が行くようなところは、今は実に美しく近代的で、華やかな顔を見せているけれど、今はTOPも代替わりしていますが、内情はあまりお変わりなくなのではないでしょうか?


この国だけでなく、国を大きく変えて、発展させるのは格差社会のある社会のような気がするのです。
日本のように、何もかも皆一緒が好きな国民の国は、穏やかで良いようだけれど、尻すぼみで退化して行くのは目に見えていると思うのです。

など等、過去に滞在した国と日本を比較すると、一見しただけでもその違いが判ると言うものですね。

妙に小奇麗な日本、穏やかそうで、全てがこじんまりと纏まっていて、激しい変化は流行する諸々だけで、本質は昔から変わらず、親子兄弟親族が和合して暮らすのが良しで纏まってしまう。
一寸人と違う事をすれば、のけ者にされ、大人しく暮らしている者、弱者を隠れていじめると言う集団行為の多い国が日本ではないでしょうか。

「私はこう思います!」なんて、皆と違った意見を言おうものなら、言った人の家族一族後ろ指指されるでしょうね。


それと比べたら、暮らしていた国や訪れた国は何処も、他民族が犇めき合って暮らしている国なので、髪の色から目の色、肌の色、言語が色々で当たり前の国ばかりだった。
久しぶりに一時帰国した時に、子供が発した第一声が「わぁ~皆同じ言葉で話しているねぇ~」だった。 子供などは即暮らした国の文化に馴染んでしまうのでしょうね。それはとても奇妙に感じる事だったのです。

でも今の日本は、老人の髪の色から、オタクファッション、世界で一番度派手な国ですね。白髪の高齢者が最も少ないようにも思います。でも高齢者は最も多いのかもしれません。


今でも日本にもグレーゾーンの場所などあるのかも知れませんが、海外のそれと比べたら、ささやかなもののような気がする。
美しくクリーンで新しく生まれた近代都市になった、南の国はその直ぐ真裏で、相変わらず薬や身を売る女性達が、公然と存在していて、罪人の裁き方も昔ながらの鞭打ちの刑などが健在だそうだ。


上位で暮らしている人は海外や国内の大学を卒業して、近代的な暮らしが当たり前で、そうではない多数派は、未だ暑い国なので、簡単な家で村を作って暮らしていたり、やたらに超高層な公営住宅に期限付きで暮らしている事でしょう。
そこに暮らす外国人達の話からも、色々な文化を知り、非常に興味深かったものです。日本人は直ぐにTOKYOを世界の大都市の中に収めたがるが、見かけはそうなのかもしれないけれど、私の暮らした南の国は、色々トータルすると、アジアでは日本よりも勝っているのではないかと思うことも多かった。

でも賢いと言うのか、TOPとは言われないメリットを十分生かして、土台はシッカリ築いているように思うのは、気のせいでしょうかしらね?
多国籍国家で、彼方此方の植民地になったり、くっついたり離れたりしながら、地下茎はシッカリ伸ばして何かあってもびくともしない国という気がする。


日本は上物は良いように見えても、一つが倒れたらドミノ倒しのように、一気に倒れてしまうような気がする。それは皆同じ方向を見て暮らしているからではないかと思うんだけれどね?細かい注意を手取り足取り、注意事項を放送したり、ポスターにして張り付けたりしてくれて、自分で考えなくても良いように洗脳されているような気がする時がある。


今後の世界情勢はどうなって行くのか、過去に暮らした国を見ることで、足元の国の見方も一寸変わったりしている。まずはアメリカがどのように変わるでしょうか?そしてヨーロッパは?アジア諸国は・・・?対近隣諸国にたいしても、日本はきっぱり激しく意思表示をしていないような?
これが敗戦国だということなのでしょうかしらね。戦後生まれの私でさえ、正確には良く判らない戦争問題ですから、次世代はもっとわからないでしょうね。取り残された国日本を感じてならないのです。大昔に訪れた、滞在した国は比べようもなくパワフルだったなぁ~と思うのだ。

 

 

海外のトイレ事情

何が違うかというと、彼方此方の国に行って、ありゃぁ~!って思ったのがトイレ事情でしたね。日本では団地というものが出現してからだと思うのですが、急に様式トイレが普及しだしましたが、古くからある一戸建て住宅は未だに昔ながらのトイレも残っています。もちろん水洗だと思うのですが、田舎の方ではまだ浄化槽でしょうかしらね?

 

さて、初めての海外暮らしをした30数年前に暮らした国では、多国籍文化でしたので色々なトイレに出会いました。 外国人住人の暮らす家や、観光客の行く所、植民地式住宅は洋式トイレになっていましたが、公共の場のトイレはトイレドァの下の方の開きが下まで無くて、結構大きく開いていました。
これは治安のためだということで、ホテルとかデパートは普通のドァだったように思います。

このドァの下が大きく開いているのは、その他の海外では度々出会いました。
アメリカなどは、まず公衆トイレがなかったですね。何処か飲食店などに入らないと、トイレは無かったと思います。

日本は気楽に、実にラフな気分で入れますが、海外では治安がよい国といわれていても、暮らしていた南の国などでも、住人であっても、トイレ内で身包みはがれてなんていうことは良く聞く話でした。

そして、その国に居る時に出会ったトイレで、以外だったのは、確かトルコ系の方の家は和式トイレで、とても綺麗なタイル張りでした。

中には和式トイレで向きがドァのほうが前にのトイレもありました。和式で後ろ向きトイレは一番無用心なスタイルですものね。
腸の長い日本民族には、和式トイレの方が便秘にならないそうだとも聞いたことがありますから、トイレ事情もなかなか面白いですね。

 

そして、街中から外れてカンポン(村)といわれる、ローカルな家に行くとトイレが無い家も多いようでした。
かっこよく言えばユニットバス式。 水浴びする大きな風呂桶の横に大きめ溝が有り、そこで用を足した後は桶の中の水をひしゃくやバケツなどで流すのですね。

私は見て説明してもらっただけで、未使用でしたが、トイレットペーパーは置かれていないのが普通のようで? 手動式ウォッシュレットなのでしょうかしらね?
だから手で食事する民族の人は、不浄な手と食事する手が違うのかもしれないと思いました。

さらに、観光で行ったある水上の村のトイレは、村中通路も何処も海の上なのですが、トイレは周囲を囲まれた広い個室ではあるんだけれど、床が長方形に切り取られているだけ! 水洗ではなくて海没型トイレというのでしょうか・・・


魚などが処理してくれるそうですが、そこはシーフードレストランで食事をしていたのです。 とても美味しく頂いていたのですが、微妙な気分になったものです。

ある中国系の人の家は、高床式の家で、家の下は家畜(豚)の小屋になっていて、トイレもやはり、長方形に切られた穴がトイレで、豚さんなどが処理してくれるのだと.....
非常にエコな暮らしとも言えますが、なんだかねぇ~でした。


でも昔は、世界中何処でもトイレなどは、結構外に別にあったりして、今のような水洗の清潔なトイレというのは、歴史的に見ると結構近年のことですね。

後は見た訳ではなく、聴いた話では、たるませたロープが張ってあるだけのトイレだったり、木の葉がトイレットペーパーの代わりに置かれていたり」、穴を掘って埋めてしまう式トイレだったりと色々あって、面白いですね。多分今時そんなと思うけれど、未だそのようなトイレ事情健在ではないのでしょうかね。

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革ジャンを後ろ前に来てバイクに乗る

ローカルの一般人は車よりもバイクに乗る人が圧倒的に多いよううで、2人乗りは違反ではないようだった。特に隣国との国境は朝晩物凄いラッシュで、賃金の良い此方の国に働きに来る人が多く、橋一本で行き来できるので、皆パスポートを持って出勤ラッシュとなる。見慣れてしまえば、まぁどうと言うこと無い風景だけれど、バイクに乗っている人に革ジャンを後ろ前に着ている人がとても多い。


何時か理由を聞いてみようと思いながら、ついに忘れてしまって、今に至るのだけれど、深い訳があるものか、単なるファッションなのか不思議な風景だった。
四季のある同じアジアの国の日本人気はかなりのもので、芸能人なども日本の歌手や歌のファンはかなり居た。


その当時一人気の日本の歌は谷村新二の昴が流行っていて、メンテの人は良く歌いながら廊下を歩いていた。洋楽では、スティビーワンダーの至上の愛で、子供のスクールバスのドライバーが何時も音楽かけて、鼻歌交じりで子供の送迎をやっていたらしい。したがって、子供もこの歌が歌える位に覚えてしまった。


日本だったら、保護者会が煩くクレームつけていたかもしれない。革ジャンとは関係ないけれど、朝のラッシュ時は街中には一人乗りの車は入れず、曜日によってナンバープレートが、奇数の車の入れる日と偶数日に別れていた。


横断歩道は車優先で、横断歩道は青になったかと思ったら、直ぐに赤に変わってしまうので、慣れるまでは青になったら、駆け出さないと、車はお構いなしに走り出すのである。歩行者はと言うと、忙しそうに歩く人など居ないのに、信号は渡りきれるのが不思議だった。車は日本のように横断途中の人が居ても関係なく発進するのだ。


そして、国際免許を持っていて、自分で車を運転する人は大変なのは、うわさでなくて真実の話だそうだが、ある日本人主婦が事故を起こして子供を轢き殺してしまったそうだ。相手は、今盛んにニュースになっているイスラム教徒の子供だったと言うことで、示談などは無く、終身刑になってしまったすだ。私などと同世代であれば、まだ刑務所に入っているのだろう。


当然離婚して、一家は帰国したのでしょうね。ですから、海外との外交や、商売のやり取りする人は、よほど巧くやらないと大変でしょうね。
根本からルールが違うと、話し合いが成り立たなくて平行線になってしまう。空気を読むだの、何となく阿吽の呼吸などは、よほど個人的に親しい間柄以外は、成り立たないでしょうね。同国人同士でも、言わなければ伝わらないことが多いのですから・・・


しかし、理屈ではなくうまが合うと、こんなに親切にしてくれて!と思うくらい親切にもしてもらえるから、なかなか難しいものですね。そう言いながら、私は同国人との付き合いのほうが気を使って大変だった。それは、何時もグループで固まってしまうのが嫌だったのですね。これは日本に居ても、グループで行動しないと、嫌がらせうけたり、まぁ虐めの対象になったりしやすいのが、困ったものなんですね。


海外が暮らしやすい人は、日本はある意味、神経を使って暮らさないとならない時がありますね。と話がコロコロ変わってしまいますが、革ジャンの着方から交通事情、お国柄?などなどでした。

 

マラッカ海峡の海賊

さて、前回の日本人学校に関しては、内容が一寸ばらばらで・・・PC不調により思い出したことをメモ的に書いてしまいました。

今日は前から日本人には嘘!!!と言われた海賊の話です。
最近国際ニュースを見られる人は、ご存知かと思うのですが海賊が今でもいるということの話です。今確認したら、いまだ健在のようで・・・

私が暮らしていた30数年前は、新聞には海賊が東海岸に上陸して強奪行為をしたとのニュースも目にしました。

海賊と言うと私はフック船長みたいに片足が鉄で出来ていて、鍵フックの手をした海賊などのイメージが強いので、実存している海賊のなりはどんなものなのだろうか?との疑問があった。聞くところに寄ると、青龍刀のようなものや、銃をもっているそうで、やはり海賊らしく南の国であっても、すばやく闇にまぎれて上陸して、金目のものを強奪して、殺された人や誘拐された子供もいるするらしかった。

マラッカ海峡周辺は小島も多くて、身を潜めるには都合よく出来ているようだし、当時からタンカーなどや船の行き来が非常に多いところなので、領地を持っている西欧諸国の頭痛の種だったようだ。
日本の船も当然通る航路なようですが・・・
しかし、現在は空からの偵察も強化されて、一時よりも少しは減ったらしいとの事です。 帰国した時友達に海賊の話をしたら、大笑いされて、冗談だと思ったらしい。
ミサイルが飛び原子力などが発達した今、海賊だというとピンと来ないでしょうが、闇にまぎれて素早く強奪する行為は、小回りが利くアナログな方が都合がよいのでしょうね。

とネットのニュースなど見ても、この時代に?ですけれど、地球上はまだアナログな世界も沢山あるようですね。デモその海賊もきっとスマホなど使って、情報収しているのかもしれませんが・・・

やっている事はとんでもない行為ですが、海賊という言葉にはなんだか夢があるような気がする。
流石に山賊と言うのは聞いたことないのですが・・・TVとスマホは、かなり昔ながらの暮らしをしている部族などにも普及しているようなのが21世紀らしいですね。

でも必ず悪事にも使われるんですねぇ・・・

 

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日本人学校

今年は少し前(大分前?)永六輔氏が他界した。
彼のラジオ番組は時々聴いていたのだけれど、大昔南の国に暮らしているときには
永六輔中村八大と言うおじさんが日本人学校に来てお話をしてくれた」
と子供から聞いた。
海外の日本人学校には、そのようにたまに有名人などが来て、体育館に集まりお話会があったようだ。子供の話なので、どの様な話を聞いた忘れてしまったのだが、確か国際人として生きていくには・・・のような話などされたようだった。

永六輔氏が病気になる前のラジオ番組や、著書を読むと、まぁ難しい内容の話なども易しく興味深く話すので、面白く聴いたり本を読んだ。特に日本人学校に居る児童・生徒は、何時も日本人として恥じないようにと言い聞かせながら育てる傾向にある。
まったく関係なくしている人も居るのですが・・・

日本人のマナーと外国人のマナーは違ったりするから、国際人として暮らすには、自分も気をつけつつ、相手国のマナーも巧く折り合わせながら、上手に暮らさないと、一人が馬鹿なことをすると必ず「○○国人は・・・」と言うことになるからである。


そして、海外駐留家庭の子供は、そのまま日本帰国とは限らず、父親の仕事の都合で何処に行くか判らないで、ずっと彼方此方の国で暮らさないとならない場合もあると、何人なのかわからないような人間になって行く。
そうなると次も海外のほうが良い場合もある。日本に帰国するのが、最も難しいかもしれない。 時には日本の暮らしの事など、まったく記憶に残っていない場合もあるので、定期的に一時帰国したり、永六輔氏達のような人が来て、色々な話をしてくれるのだろう。


人の考えは色々だから何とも言えないのだけれど、私は本も読んだりするくらいだったから、彼らの訪問はなんだか良い話が聴けたのではと嬉しく思った。
それ以外にも、日本から芸能人がやってきて、ホテルで何とかショーなどをしたりがあるのだ。私は行ったことはないのだけれど、行った事のある人から聞くと
「もういっぱいだったわよ。懐かしく聴いてきたわ」
と言うことだった。食事もそうなのだけれど、今は和食ブームと言われているけれど、日本人は他国で暮らしていても、心は日本から抜け出さずにいる人が多いように思われた。

日本人学校と言うのは、日本人でありながら、日本式授業もやるけれど、他にはその国の教育も取り入れてでの授業がある。英語の授業や課外授業などは、日本での授業とは違った授業をする。ハーフの子供も居るので、色々な文化にも触れるチャンスでもある。そして、その頃も思ったし、今も感じるのだけれど、教育の内容に関しては、日本の教育は相変わらず試験の成績はそこそこ良いのかも知れないが、思考する教育は遅れているような気がするのは私だけだろうか?と言うことである。

 

よく言われていたように、子供も帰国子女ということで、中学は日本に帰国してすごしたが、高校は海外の学校で過ごしてきた。小学生で未熟であったにしても、約4年間暮らしで、学校の先生にもこれはおかしくないですか?とはっきりものを言うので、一部の教師には目をつけられてしまったりしたのだ。
良い教育と言うのは、 至れり尽くせりの教育と言うことではなく、もう高校生くらいになったら、世界情勢が今どうなっているのか、日本は今後どうしたらよいのか、しっかりとディスカッション出来るような教育と、語学力を身につけられる様な教育にならないとって、思うんだけれどね。世界の日本などと軽々しく言える今ではないような気がする。
せめて日本人学校くらいまで、開かれた精神であっても良いように思う。

 

で、話の趣旨が急に変わってしまうが、永六輔氏と聞くと、以前永六輔氏の本で読んだ中で、頭の中に残っている言葉があり、今しみじみとそうなんだよねぇ~と思う言葉がある。
読んだ当時は若かったので、ただ可笑しくて笑っただけなんだけれど、今高齢者の仲間に入ってきて思うのは「どこか一箇所だけでも達者ならよい」と言う言葉である。

それは確か体は動かなくなったけれど、口ばかり達者で・・・と言うのに対しての言葉だったと思うが、超高齢化した今は、本当に一箇所達者なら十分元気と言えるのでしょうね。

話がつながらない様だけれど、永六輔=日本人学校=一箇所達者ならと連鎖して記憶が戻るのである。
南の国の人たちは、今はどうであるかわからないけれど、その当時はものすごく短命だと聞いていた。体がスムーズに動かなくなるほど、超高齢ではなかったのは、若くっても暫く暮らすと、南の国人特有の、のんびりのんびり動くようになってしまうのだった。蒸し暑くなった今は、日本も今後は、架の国と同じように体力の消耗が激しくなってきているのかもですね。

 

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南方ボケってしてきたら、暮らしに馴染んできたっていう事

子供時代に、大人の会話で南方ボケと言うのを聞いていたが、それが本当だと判ったのは、やっぱり暑い国、四季の無い国で暮らしたからだ。
1年くらいは、あれこれ習慣の違いや、その他が初めての経験で「へぇ~そうなんだ!」で通り過ぎていく。

適当に慣れてきた2年目くらいから、その国での過去が積み重なってくるわけだけれど、これが物凄いボケ方をする。 
四季がある事によって、あの時は寒くてコートを着ていたとか、周囲の風景などの変化から、あれは何時だったと思い出すきっかけが出来る。

しかし、1年中同じところには同じ花が咲き、景色は実際は入れ替わっているのかもしれないが、観葉植物の大群が1年中生えているジャングルである。
体感も何時も暑いのだし、まぁ多少の変化が判るのは月の満ち欠けくらいでしょうかしらね?
確か月の満ち欠けが日本とは反対に欠けて行ったんではなかっただろうか?記憶は曖昧なんだけれど・・・

日本人が殆んど居ないフラットだったが、賃貸料が安くなったので、日本人学校にも行きやすいという事で、だんだん日本人が増えてきた。

そうなると、子供は遊び相手が出て来て良かったのだけれど、日本人の親同士が繋がって居ないと子供も遊び相手が居ないことに成る。その頃から私は外国人の友人たちとは付き合いが疎遠になっていった。

外国人の友達とばかり付き合っていると陰口の的になるからだ。大人事情では構わないんだけれど、子供が仲間に入れてもらえないのは、余りにも可哀想である。
で、私もママ友仲間に入って付き合うようになった。私よりもずっと早くから暮している人たちが沢山いたが、吃驚したのは皆決まった場所にしか出かけていないのだ。


理由は怖いからという事で、何が怖いのかママ友たちから聞くと、本当に恐ろしい話が一杯で吃驚した。しかし、外国人の友達から聞いた話では、置き引きに遭った話位だったんだけれどね? 集まった時の話題は、何処の国も噂話とかは嫌いではない女性達だけれど、内容はかなり違うようだ。
何処から本当なのか、話が勝手に膨らんだのかは不明で有るけれど、まぁ実に色々な話を聞くことになった。


それでもそこそこ私が仲良くなったグループは、面白い人たちが多いグループだった。皆メイドさんが家事をやってくれたり、外出は運転手付きの車が使えたりが多いので、ハッキリ言って暇人ばかりなのだ。
ラフスタイルからして、私はUKの友人の方が気が合ったりしたんだけれど、そこは臨機応変にで、何時までも拘っていても仕方がない。


朝夫が出勤した後は、ギャンブル好きな人はブリッジに明け暮れ、私などは子供が同世代で、テニス仲間が集まるという事になった。
ある日の事、もう5年位暮している人の家に集まった時の事、何かの用事で彼女が電話をしているのを聞いて、皆で爆笑してしまった。


それは午前中9時過ぎだと言うのに彼女は時計を見て「夜分遅くに申し訳ありませんが・・・」と話し出したのだ。
その頃は夜9時過ぎに電話しなくてはならない時には、夜分恐れ入った時代だったのである。それにしても、まだ皆30~40歳代位の歳なのに、物凄いボケまくるのである。そんな塩梅だから、電話連絡網は要注意で、確かラストまで行くと又最初に連絡をした人にラストの人が連絡するを徹底的にやっていた。

 

時間の間違いが一番多かったと思うが、過去の話をする時は、それが何時だったのか全く分からなくなってくる。その為にも、子供が日本の暮らしを忘れないように、休みの度に一時帰国させている家庭も多かった。
小さい時の数年は物凄く違う数年なのだ。我が家は一度だけ親子で一時帰国したきりだった。しかし、今振り返ってみると、あれは何月の事だっただろうとか、何年目だったか全くわからない時期でもあるのですね。

何月はかろうじて、あちらの行事でチャイニースニューイヤーだから2月とか、ランタンフェスティバルだから9月だとか大雑把には覚えていたりするのは、彼方此方に出かけていたからでしょうね。長く滞在する程に、まったくそこでの暮らしは何時の事だったかが思い出せない。色々な事件もあったのだけれど、それが南方ボケと言われる事なのかもしれない。

 

当時は日本も今みたいな超高齢者はいなかったし、南の国では暑いという事はエネルギーの消耗が激しいのか、50歳と言ったら物凄い老人だったし、寿命も60歳まで生きたら凄い長生きと現地の人は言っていたとおもう。
当時でさえ80歳近いのじゃぁないかと思えるような人が、50歳台の人だったりして、これまた吃驚したのでした。

今私があれこれ物忘れなどが増えてきたが、当時はまだ若くして、日を追うごとに同じくらいにボケてきていたのでした。やっぱり暑いと人の脳は、活発には動かなくなるようですね。