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ひつじのTime killing notebook

昔々、気がつけば更に昔の海外暮らしや旅行などで、見たり聞いたり体験を!所変われば常識も違ったりしてね。  むっふ(=^m^=)♪

写真で見たとおりの凄い坂のあるサンフランシスコ

サンフランシスコは、ちょっと寄り道した街だったのですが、必ず観光写真に載っている通りに凄い坂道があった。 坂の所は路面電車(ケーブルカー)が走っていて、坂の一番上に行くとフィッシャーマンワーフと言う、シーフードなど食べられる所があるのだけれど、季節はずれの冬に行った? 週末だった?から、何処も閉まっていて、ただガラ~ンとした所だった。
観光客らしき人も少なくて、街中が空いている感じだった。

何も無いので、又帰りのケーブルカーに乗って戻ろうと、チケットの自動販売機に行ったら、コインを入れても全然機能していなくて、壊れている?
何度やっても、コインは戻ってきてしまうので、側に居る人に聞いたら、その人も観光客のようで、「さぁ?でも何回もやったらチケットが買えたよ」と言う。
「じゃぁ、何たってアメリカだしぃ~(失礼)」と又気長にコイ投入。 すると、違う若い男の人が[ちょっと待って!」と言って、販売機を思い切り蹴飛ばした。

そしてコイン投入後、大きな手で販売機をバンバン叩いたら、コインが入りチケットが出てきた。[何時もそうなんだ!」そうだ。
今は近代的に良くなっているのかもしれないけれど、その時は蹴飛ばしやすい靴履いていかなくちゃぁ~と思った。 これって1989年頃の話です。

そして、デパートを見たり街をうろついたりした。日本で買うと凄く高いアメリカメーカーのバッグが凄く安かった。
何時も爽やかな陽気の所だからか、ホームレスがちらほらいて歩道に座り込んで、帽子が置かれて、中にお金が少々入っていた。 でもそのホームレスの中には凄く大きくて体格も肥満気味の女性が、外套に持たれて座っていた。猫連れのホームレスだったが、猫が又飼い主同様に体が大きくて、丸々と太っている猫で、アメリカって良い暮らししているんだなぁ~と思った。

皆のんびりした感じで、気候が良いからホームレスが多いそうだ。
そして、気をつけないとならないのが、怪しい日本人も多いと聞いた。親しげに話しかけてきて、詐欺まがいの事をするらしい。
どう見ても、働き者が居る街には見えなかった。

1年中気候が爽やかで温暖だと、人は厳しい季節に向かって「なんだかの準備をしなくちゃぁね!」と言う気分にはならないのでしょうね。
年金生活者は、歳をとったら西へ行って暮らすのが夢だという人は少なくないようだ。
でも、爽やかだけれど、私はやっぱり四季がある国が良いなぁ~。

そして、近くにチャイナタウンがあるのだけれど、もう昼間歩き回ったので、疲れたので、夜はホテルのルームサービスでパスタを1人前頼んだ。ルームサービスは割高だそうだけれど、持ってきたパスタは大皿にてんこ盛りで、子供と2人で分けて食べても、気合を入れて食べなくてはならないほどの量だった。

何も注文はしなかったけれど、流石サンフランシスコのホテルは日本人慣れしていて、中皿とフォークなどは2セット持ってきてくれた。
日本のパスタの量の3倍くらいが1人前ですね。その前にもアメリカは滞在した事のある所だったから、予想はついていたけれど・・・

あれを食べてしまうんだから、身体も丈夫なはずだよねぇ~と言う感じだった。
とりあえずは、1泊だけなので、後はのんびりTV見て過した。
治安も余程変な所に行かなければ、まぁまぁな感じですが、やっぱりアメリカには住みたい気はしませんでした。
慣れたら日本よりも暮らし安いかもですけれどね。歴史的な文化と言うか、建造物とかも無かったし、只のんびりしに行くには悪くはないのかもですね。

雰囲気はそれほどお洒落な店があるわけでもなく、ちょっと田舎っぽい街だったかもしれない。気候が良すぎると、働く意欲も沸かないのではないかしらね。

 

今カーリングをカナダのエドモントンで・・・

数日前から世界カーリング大会がエドモントンで開催されている。

昔私は用事でエドモントンへ行った事がある。
確か2月頃に行ったんだけれど、一番寒い時だという話だったが、たまたま物凄く暖かくて楽だった。 印象はそれでも本当は凍りつくような寒い雪国だから、何処もかも、特に街を走る車が泥だらけで汚らしかった。よくイメージスする緑豊かな街ではなく、工業で栄えている街だったのですね。
でも、実にのんびりした街で、道行く人はとても善良そうに見える街でした。実際は色々な』人がいるのでしょうが、あの長閑さは、私は好きですね。

寒い国では当たり前のようだが、物凄い大きなモールがあって、モール内にはプールや映画館やホテルと何でもある。
一つの街がモール街になっていて、中に入ってしまえば屋内なので、暖かだった。
とてものんびりした雰囲気で、なかなか良かったのだけれど、1泊で帰国した。

若い時は、エドモントンではないが、東海岸のほうに移民したかった。
考えたら文化的なのは東海岸のほうだけれど、気候が厳しいのも東海岸のほうが凄い物があるらしい。

1泊なので、半日ほど町をぶらぶらしたんだけれど、お菓子屋さんがあって、量り売りのお菓子が売られていた。その中に、どう見ても柿の種に見えるものがあって、ちょっと試食させてもらったが、唐辛子味がしない柿の種だったのが不思議だ。

観光地でもないし、スキー客は通過するらしいけれど・・・
で私は本屋で好きな漫画の本を見つけて、数冊買ってきた。TAXとかがつくと支払いがわからないので、財布を出して、開いてお店の人にお任せ会計だった。

店番のお姉さんは素朴でニコニコしていて、とても感じが良かった。「その漫画はとても面白いわよ」と笑っていた。

飛行機も、カナディアンエァラインをサンフランシスコからバンクーバーまで乗り継いで行ったんだけれど、実に素朴そのもので、機内食が時間もそう長くないのだけれど、ホットドックと紅茶とアイスクリーム?だったように思う。まったくの装飾的なものはなく、学校の給食をあっさりさせたような物だったが、とても美味しいホットドックだったのですね。

何故か途中から気圧のせいで、凄く耳が痛くなり、当時はスチュアーデス、スチュアードさんが、心配して唾を飲めとか、あめを持ってきてくれたり、ガムをくれたりしたが、暫くは痛みが取れなかった。
帰りの便は直行便で帰って来たが、なんともなかったんだけれどね。

制服もまったく洒落気など無く、機能重視みたいな物だったのが、いかにもカナダと言う感じだった。 そうそう、成田からサンフランシスコまでは、ブラジルの航空会社の飛行機に乗ったんだけれど、まぁ操縦の下手な事。
着陸時には物凄い音でドンドン!と着陸。 お尻が痛くなるくらい荒っぽい操縦だった。直行便もあるのだけれど、安いチケットで行ったので、サンフランシスコで一泊して、バンクーバーで国内線に乗り換えた。

バンクーバーの飛行場は何だか凄い人だったなぁ~。すでに移民する人が多かったんですね。と、もうあれから30年以上経ってしまったのが嘘みたいである。

もう何泊かしてゆっくり過したかったカナダ行きでした。
もしかしたら夢が叶って、国民になったかもしれなかったのになぁ~。せめて何時か横断鉄道で横断旅行でもしたかったんだけれど。。。。。

まぁ未だに本を持っていて、写真で旅行している国ですね。今は希望者が多く手、移民も受け入れは難しいようだ。 でも未だにあの柿の種は不思議?

まるで映画みたいだったカリフォルニアの火事

 

さて、今日もアメリカでの話ですが、ある時パサディナハイウェィを、パサディナと言う街に行く為に走っていた。
日本みたいに渋滞はまったくなく、ガラガラと言う感じで、砂漠の中を走っていたら、突然の渋滞にあった。
上下線ともなのです。何事かと思ったら遠方に見える小山の中腹にある大きな家が火事だった
。 何も無いところの小山だから、丸見えなのですが、皆見物渋滞だったのです。何しろ滅多に雨など降らずに、からから陽気で、1年中温暖な所です。

風が有って木がこすれたりすると、それで発火してしまうそうです。
街に近い所ではスプリングクーラーが付いていて、自動的に水を巻いているようですが、人里はなれた小山の中腹です。
そういうところは、金持ちの家や別荘があるのだそうだ。で、そんなだだっ広い所で、消防車が走って行ったかは見えなかったけれど、ヘリコプターが消火しているのが見えました。
車は暫く見るとノロノロ走り出して、道路はまたガラガラに空いたハイウェィに戻ったが、何時消火が終わるか判らない状態だった。まるで映画を見る様な感じ。

更にこのハィウェイの途中の引っ込んだ場所で、昔、三浦事件(水の江滝子・字が違うかもです)の甥とかが、保険金を掛けて、妻を殺害した場所も有りチラッと見学して、街に着きました。パサディナと言うのは、アンティークな家具等の店がある、落ち着いた街でした。
1年中気温が程ほどで、エアコンや暖房がいらない街は、年金暮らしの高齢者がお気に入りの所だそうですが、私は一歩でたら西部劇のような荒れた景色や、四季が無い所は何だかなぁ~と思いました

何処もかもパサパサに乾いているから、パサディナかしらって思いましたね。
ポトガル?スペイン語名の街が多かったから、元々は移民した時はそれらの言語を使う人が多かったのでしょうね。
でも良い街も在りましたが・・・。文句言う割には、出歩いていたのです。
でも何処に行くにも広すぎて、かならず砂漠の中のハイウェィをぶっ飛ばして数時間と言うのは、結構不便ですね。
相変わらず私はシティバス利用でしたが、これが又何時来るか判らないのですよね。
窓が真っ黒なシートが貼られていて、最初は不気味だった。 施設が整った街中に暮らさないと!思いと思いました。

たまには南の国以外の国も(inUSA)

 さて,気ままな昔の異文化話も、南の国以外も書いてみたいと思います。

此処はずっと滞在ではなく、子供の長期休み年3回にはUSAで過ごしていました。
夫は単身赴任で! 休みのたびにロスまで行っていた。 30年くらい前南の国が終わった後がUSAでした。
その当時は、NYよりロスの方が治安が悪いと言う話で、オフィスはロスにありました が、住まいは聞こえがよいサンタモニカでした。

治安がよいというのですが、街は子供少々と高齢者がいっぱいの街。年金暮らしになると、気候もよい治安のよい西海岸と言うことのようです。
米語ではエレベーターですが、それが無い3階立て位のコンパクトなアパート。 ワンベッドルームの小さな部屋で、ランドリールームが地下の駐車場脇にあるアパート でした。
部屋にはTVがあるだけで、今思い返せば毎日TVを見る以外は何も無い暮らし。 今日は出かけようと思う日には、数ドルのお金をもらって出かけていった。

此処では流石に、子供は中学生になっていたが、仕事休みの日には遊園地に連れて行 ってくれた事があった。
子供と私は、一人っ子同士なので、お互いにそれぞれ好きな事をして過ごすのは上手だ。子供はTVを見るか、持って行った宿題をやるだけの暮らし。
なので、時々歩いていけるモールまで出かけていった。モールの中をウィンドウショッピングそして、ランチはハンバーガー。そして子供は荷物とならないお菓子を買って帰ってくる暮らしだったが、比較的日本人には感じ悪い店員が多い。 いやいや、あれが普通?としたら、何とも殺伐とした国だと思う。

週末に開かれるサンデーマーケットだけが、ちょっと刺激的で楽しかった。 自家製のパイを売る店とか、着るものやまぁ色々な物が売られているが、着るものは大体が大きすぎて必要なし
。 これだけは私は一人行動。でも一人で出て行くと、ちょっと周囲の人と話したりのコミュニケーションがあった
。 親切な人も出会ったし、安くて野菜とかよさそうなものを買って来たりした。
それ以外は、強大スーパーへ家族で買い物である。休みの日は大体買い物でお終い。 ワンベッドルームの部屋の冷蔵庫は、小さいので家族3人分の食品は沢山は入らない。

シングルベッド2台限なので、一番からだが小さい私はカウチで寝ていた。 子供は父親似でかなりの長身の子供だったし、寝相が悪いのでカウチでは落ちてしまう。
まぁずっと居るわけではないしぃ・・・で、子供の学校には事情を話して、長期休みは場合によっては、日時通りに戻れなくて休みになる事もある旨を伝えておいた。

他の中学生は、高校受験とクラブ活動で忙しいと言うのに、我が家のライフスタイルは、そうは行かずに、子供は帰国間もないので、日本の暮らしに慣れるだけ、塾は一応行くだけ状態。
私はまぁ子供が元気に登校して、友達が出来れば良しと思っていた。

流石にアメリカでは遊び友達は出来ず母子で彼方此方を時々うろつくか、映画を見に行くくらいで、 後は何回か近い所のデズニーランドや、ナッツベリーファーム(スヌーピーの遊園地)ユニバーサルスタジオなどに行った。
遊園地は日本よりもずっと楽しい所だった。長い行列も、アメリカ人は屈託無く周りの人とフレンドリーにお喋りして待つ。
それはよいのだけれど、私は米語は苦手なので、余り聞き取れなかったし、こちらの言う事が通じなかったりが結構あった。

単語自体がまったく違っていたりなのですね。うっかり英語で言うと“何?”と言われたり、発音も悪いのもあるし表現が違ったりで「別々に小分けにして包んでください」と言ってるのに「違うポケットだって?」とか言われて[いいえ、もう結構よ!」で相手の思うままの一括パック。

そんなことでUSAではその他も、あまり良い印象がない。映画が安く見られたので、映画だけはよく見に行った。それと母子で歩いているのに、姉妹にしか見られないようで、よくナンパされて、ブラックにはしつこくて悩まされた。
何系か判らないけれど、他の人は「親子だよ」と言うと笑いながら離れていくのに、ブラックは物凄くしつこく、付きまとってくる人が多く手、家を知られるのが嫌で、お店の人に言って、助けてもらいさっさと姿が見えなくなるまで、引き止めてもらったりした。

キャブのドライバーもブラックは失礼な奴が多かった。だから嫌いだ。全員じゃぁないけれどね。
食べ物の安さと映画が安いのは、海外暮らしの嬉しい所ですね。 サンタモニカはですから、勝手にイメージしていた、避暑地的な雰囲気とは』違ったような気がする。
気候は四季感はなく夜は高齢者は毛皮のコート、横を通るティーンエージャーはタンクトップでスケボーと言う気候でした。 雨に降られたことは無く、街を外れたら、西部劇に出てくるような何も無い砂漠のような景色だった。

 

料理教室の先生はゲィだった!

 

  南の国に暮らし始めてどの位立った時だったか・・・・?
何しろ雨季(日本の冬)と乾季(日本の夏)しかないし、その差も大きな差ではないので、記憶が定かではないのですが、友達に誘われて同じブロック内の違う建物にいる中国系の人がエスニック料理の料理教室を開くというので、申し込んだ。確か5回くらいで、生徒はプリントをもらって、作るのを見るだけの料理教室。

出来上がったら皆でランチで食べて終了と言う教室なのだ。 でもせっかく珍しいエスニック料理なので、何点か覚えるのも良いといってみた。
7人集まって、日本からしたら凄い広いキッチン。 でもその国の外国人向きフラットとしては、普通の広さのキッチンでの講習だった。

先生は中国系の30歳代くらいの背が高くてスリムな先生で、9時半集合だったが、行くと丁度玄関で、厳つい中国系?フィリピン系にも見える男性が出かけるところで、先生はブラザーだといっていたが、皆はヒソヒソ声で「ゲイよ!」と話していた。
日本のゲイバーに勤めている様な人はわかるけれど、彼らはよく判らなかったが、外国人は多い(その国はおおぴら?)ので、即判るようなのだ。国によっては厳しいが南の国は綺麗な女装した人も居るし、明らかに男同士のカップルも多いのだ。 (最近アラブ系の国では、男同士手をつないで歩いたりは普通の事と言うのをTVで見たけれど?)

まぁそう言う訳で、料理教室が始まった。とりあえず集まった人達は欧米人なんだけれど、何処の国の人だかよく判らないままにスタート。
で、スタートしたら、先生はゲィだと明らかに判った。立ち居振る舞いが、なよっとしていて実におしとやか!
シンクの下から、ボールを取り出す時も、膝を揃えて膝を突いて丁寧に取り出したりして、まるで歌舞伎の女形みたいだったのだ。
英語は男言葉も女言葉も同じだから、オネェ言葉で話しているかは不明だけれど、きちんと丁寧なクィーンズイングリッシュで話していた。

中国系の人は語学堪能な人が多いですからね。料理もなかなか美味しくて、手際よく作る様は、素人ではなさそうな手つきで作っていた。
その中でも、ペーパーチキン、専用のクッキングペーパーで出来た袋の中にチキンとスパイスと野菜を入れて、そのまま油であける料理と、チリクラブは美味しくて、お陰で家でも何度か作ったし、その後持ち寄りパーティの時などは、リクエストもありよく作った。

料理もだけれど、お作法教室も出来そうな体の動きだった。 帰国後はペーパーが買えないので、ペーパーチキンは作った事ないし、チリクラブは日本のカニでは、同じように美味しくできないし、やたらの高額な料理になる。
現地ではマッドクラブと言うはさみが大きく、野生的な生きたカニを生きたまま買ってきて、料理する直前に、心臓を一突きしないと味が落ちる料理なのだ。

その後カニを一気に叩ききる為の大きな包丁も買ったり、心臓に一突きも、バーベキュウ用の鉄の長い串で、必殺仕置き人のように刺さなくてはならない。
これが結構難しくて、エスニック料理って、意外と美味しく作るのは難しいものだった。
欧米人の料理の方が日常的には、粗食だし簡単で調理も凄く楽ですね。ちゃんと手の混んだ料理もあるのですが、何かの時にしか作らないようだった。

せっかくだから、他の国の料理も教わって作りたかったのだけれど、1年中蒸し暑いので、皆作る気はなくなって、来客などがあれば、べキューピットを予約して、プールサイドでバーベキューが多いようだった。 週末は何時も一杯の人が使っていた。

料理の先生は、後から思い出したが、ちょくちょくプールサイドで見かけた人で、何故か肌色の海水パンツにサングラスで、遠くから見るとヌーディストかと思った人だった。
まぁ、日本みたいに、最近は随分変わってきたが、実に色々な国の人が要るし、嘘か真かわからないゴシップが入り乱れて居る国だった。何人もから真実の話しだと聞いたけれどね。

特に今でも変わらないと思うが、習慣の違いから、日本人駐在員は余程夫が心配りが出来る人ではないと、家庭問題を多々抱える事になるようだった。
と料理教室に参加するだけでも、まぁ色々な国の人と一緒にと言うのは、駐在員だったからなのと、その国がアジアでは、やはり重要なポイントを締める国なのでしょうね。  

何処に行っても、パクチーの香りとスパイスの香り

今でこそ私はパクチー大好きですが、南の国に入ったころには日本にはパクチーなどなかったし、多分エスニック料理の店など皆無だったのではなかっただろう。

その国についてから3日目くらいにお金だけおいて夫だった人は2週間くらい出張に行ってしまった。数日はフラットのあるブロック内で過ごしていたけれど、もう暑くて堪らないのだけれど、中だけに居るのも全く何も無いので、退屈になって来た。

そこで、観光客が集まるメイン街まで出かけてきた。
もう街中が臭っている感じがしたが、きっと日本も外国人が来たら、そのように思うのかもしれない。

街は世界中の国の人が行きかい、とても賑やかである。英国風資本のデパートは私のお気に入りとなった。

おもちゃ売り場と文房具、キッチン用品などデザインも楽しいし、日本で買ったら高くて買えないようなのが、お手頃値段で買えるのだ。
メイドインジャパンが異常に高い。特に本と食料品は高額だった。だから、後から気が付いたけれど、知っていれば本だけは沢山かって送れば良かったと思った。

食べ物はまぁ、なんでも食べられる方なので、あまり困らなかったが、すれ違う人が人によって異なるが、体臭が凄い。スパイシーな食べ物を食べているからなのでしょうね。

食べ物屋があればパクチーの臭いが強烈だった。今になって分かったが、あのパクチーの香りは蚊に刺されないのだそうだ。しかし当時は、物凄く臭く感じた。そのものはまだよいけれど、酔っ払いの臭いと同じで、それを摂取して体臭に変わると、もう凄い臭いになるようだ。

住んでいたフラットは外国人がほとんどの住人なので、時々消毒をしていたせいか、幸い家で蚊に刺される事はなかった。
パクチーの香りもだけれど、インド人街に行くと大きな樽や袋いっぱいのスパイスを売っている。ですから当然凄い香りがするが、スパイスの香りは、それほど嫌な臭いとは思わなかったので、ある時よせばよいのに、店の人に聞いて本格的なカレーを作ろうと、スパイスを調合してもらって、作り方を教わり、買ってきた。

グリーンのナスとマトンカレーを作ろうと思ったのだ。
本当は焙烙のような素焼きのポットで作るのだけれど、持っていないのでフライパンでスパイスを炒って、コーヒーミールを1台スパイス様にして、作り始めた。

最初は良かったんだけれど、炒っている間に唐辛子その他のスパイスの香りがだんだん強くなってきて、むせ返り咳をしつつ炒りあげて、コーヒーミールで引き始めたら、香りはさらに強くなり、私は頭痛がしだして、吐き気がして、何もかも放り出して、カウチに倒れこんで眠ってしまった。と言うより気絶していた状態になった。

結局は、全部捨ててしまった。あの香りが美味しいカレーになるとはねぇ~である。
そんな事も1年位すると、すっかり慣れてくるのである。慣れる事が出来ない人が、ノイローゼなどになるのと、同国人ばかり集まってしまうのでしょうね。

嫌な事は積極的に先にクリアしてしまった方が、ずっと楽ではないかと思う。時間が経つほどに、環境に慣れにくいように思うのだけれどね。
私の場合は、運よくいじめや仲間外れにされずに、日本人の仲間にも入れてもらえたけれど、代わりにべったり付き合うので、保護者会の役員になってしまって忙しくなったら、外国人の友達とは、だんだん疎遠になってしまった。

でも、日本人学校には、中国人と日本人のハーフの子がいて、偶然なのか子供が仲良しになったので、遊びに来たけれど、母親が外国人の子は、やっぱり何処か雰囲気が違う様だったし、パクチーも大好きだと言うので、プールサイドの小さな売店の食料も、食べる事が出来てやれやれだった。

まぁ、その他の国も、その国独特の臭いってあるようです。
日本も臭い物たくさんありますから、きっと漬物や味噌醤油の臭いがするのでしょうね。今は和食ブームだと言うニュースを見ましたが、あのニュースが事実なら、意外と悪く無い臭いかもしれない。
この数年日本はパクチーブームだそうだけれど、ブームと言われるほど売れてはいないような気がするし、まぁほんの少しで結構な値段である。ハーブやスパイス類が高額ですからね。

今では大好物なので、割安なのを見つけると、夏には買って食べてしまいますが、不思議と暑いと食べたくなるものですね。

英語も出来ないのにリラックス。

 

海外で暮らすと言うのは、思っているよりも大変な事のようなのだけれど、そう知ったのはもう住んでしまって暫く経ってからの事だった。
私の場合は案外気候が嫌なだけで、精神的には暮らしやすかったかも?

ろくに英語など話せなかったのですが・・・結構平気だったのです。
この平気と言う自信が何処から来ているのかよく解らないんだけれど、私の中では「まぁ何とかなるでしょう」と思っていたことだ。

でも何時もコンパクトな辞書と、小さなスケッチブックは持ち歩いていたんだけれど、
暮らし始めてから1年以上経ってから、私の暮らしているフラット(集合住宅)の家賃が下がって日本人が移り住んできた。
皆大手商社だったり銀行関係の家庭で、我が家の様に、何のサポートもない小さな規模の事務所とは違うからか、聞いたら転勤1年前にはお達しがあり、家族は1年間無料英会話レッスンの猛特訓があるらしい。

にもかかわらず、日本人はグループを作り、常に団体行動の様だった。
でも暫くすると、子供が遊ぶ相手が限られるので、私も話によっては仲間入りするようになったので、色々事情が分かって来た。
皆一大決心で出てきた人が多いし、英文科卒業の奥さんが圧倒的に多かったのは、会社も考えたのかもしれない。

キッチンドリンカーになったり、うつ病になって途中で何かトラブルになっても困るからなのでしょうね。
かえって私の様に何も情報が無く、夫の都合の良い情報だけしか知らないで、来てしまえば良いのだから・・・可哀想だったのは子供だけですね。

帰国子女は帰国してから苛めの対象にもなる例が多く、皆の苦労の種のようだった。
そんな事も知らない私はとりあえず、カラッとハワイの様に爽やかと思っていた気候が、1年中蒸し暑くてと言うのにバテ気味でした。

でも人の体は自然に慣れてくるようで、1年経ったら辛くは無くなりました。暑いのが嫌いなのは変わらずですが、嫌なところだからまずはストレス解消するには、楽しい事を見つけてなるべく楽しく暮らそうと考えたのだ。

悩んだって問題は解決しませんし、夫に言ったら10倍以上になって返ってくる人である。余計な事言うよりも、良い方法を考えた方が、楽なので子供をプールに連れて行きながら、私も西欧人と同じに、サンデッキにひっくり返って読書をしていた。

プールサイドで英会話の本や単語を勉強していた。一人で居ると、よく顔を合わせる人などが話しかけてくるようになり、それで私は英語を覚えた。

私はまずは先に「日本語が話せますか?」と聞いてしまう。大概話せないのが普通で、それから「私は英語が少しだけ話せます」と偉そうに言う。

するとほとんどが英語が話せるのが西欧人だから「大丈夫よ。教えてあげるわ」という事になるのが、普通の流れである。

それ以外にも、ちょくちょくお気に入りで出かけたローカルな街があり、そこにはアメリカ人がコットンショップを開いていて、パッチワーク教室も開いていた。
そこで私は、その教室に行くことにした。生徒の多くはアメリカ人だったけれど、良い意味でフレンドリー。

ヨーロッパの人の方が、雰囲気は違うし「あの米語がスライダーの様で嫌だ」と言われていた。でも、当時は私は気にしないで、時間はたっぷりあるので、毎週習いに行っていたので、帰ってきたら、習ったことを西欧人の友達に教えた。

まぁこれがちょっと、英語か米語かで混乱することがあったのだけれど・・・それもいい加減な性格と都合が悪くなると、英語が解らないという事で、必要な英語だけは覚えて、出かけて行った。メートル法だけは皆私に合わせて、センチで話してくれたけれました。ヤードやインチは本当にピンとこない。たまたま私は若い時の仕事は図学が必要な仕事だったので、パッチワークの図面を描くのは、まったく問題なく、どのように線や曲線の分割も出来たので、簡単な方法を先生に代わって、厚かましく教えてきた。
幾何に関しては、皆不得意なようだ。あまり主婦は必要ないからかもしれない。

運も良かったのか、調子が悪くなって病院へ通院も、一人で何とか出来たのですね。日本と違って、まず先生に予約を入れて、病院に行くと、スーツ姿ドクターが居てメディカルチェックされて、次の診察室へ回されるのだ。

外国人が多い国は、何処の国の人でも判るように合理的に出来ているので、あまり困らないで診察を受けて、前からちょくちょく繰り返す、椎間板ヘルニアと診断された。これは重い物持つとかそういう原因だけでなく、繰り返しなる人はストレスが原因の場合も多々あると言われた。何故か言われたことはおおよそ分かったのです。

それで、最近日本でもそのように言われるようになったけれど、イギリス領だった国は医学も発達していて、今から30年以上前?から、そのような診断がされていた。
そのほかにも感じたが、ヨーロッパの国などの植民地だった国の方が、日本より貧しかったかもしれないけれど、ずっと進んでいる面が多々ありました。

と英語が話せなくても、何とか伝えようと思うと、よほど込み入った話でない限りは、何とかなるんですね。その国の人達は、絶対に暮らしがかかっているから、英語が話せないと良い仕事にありつけないので、子供だって余程でなければ読み書きが出来なくても、バイリンガルなのでした。

今頃になって、やっと小学3年生くらいから英語教育が始まるらしいけれど、嘘みたいな話ですね。もう幼稚園くらいから始めても良いのではないかと思うんですけれどね!
ネイティブな先生が見つからないと言うが、フィリピンとかインドとか中国人の先生でも綺麗な英語話す人沢山いるんですけれどね。

もしかしたら、英語が平気だったのは、小さい時から外国人が近所で暮らしていたり、知り合いがいたのが、まずは何のプレッシャーも、感じなかった理由かもしれない。

今思い出したが、義叔父たちは英語が話せたのでした。

落ち着けば、相手の言って居る事は、そこそこ解るものである。わかない時は相手の言う事を復唱して、確認すると又違う。でも日本で普通暮らしていると、和製英語ばかりTVで連発も宜しくないのではないかしらね?と言う事で、バイリンガルである事は悪い事ではないので、何歳であっても勉強してみるのも良いと思う。

外国語を知るには文化も知る事だから、世界が広くなると思う。目から鱗なんて、日常的な事だと気が付くと思う。

そこで暮らさなかったら、インドも雪が降るくらい寒い所があるなんて、知らなかったものね。暑い中一緒にニットで編み物していたインド人が不思議だったけれど、聞いて吃驚したものだ。世界の事の教育、あまり学校ではされていないですね。

良い意味で日本も「チェンジ」して欲しいなぁ~と思う。

資源も少ないし、日本には保存すれば美しい景色などの遺産が沢山あるから、観光国日本で外貨を稼いだって良いんじゃぁないかしらね。

地震は心配ですけれどね。巻き込まれずに、無事に帰国していただきたい。
そんな時も、皆が少しでも英語で、ヘルプ出来れば良いのですけれどね